結局は、その瞬間に、指導できるかが問われている | t-labo(中学校教師の支援サイト)

結局は、その瞬間に、指導できるかが問われている

生徒指導の基本は明確な線引きから始めよう | t-labo

で書きましたが、「線引きとは何でしょうか?」

そして、どのように引くことを言うのでしょうか。



線引きはいいか、悪いかの判断


ある出来事がいいか、悪いのか判断することで、別に難しいことではありません。
一般社会で認められるかどうかが大事だと思っています。

人を殴ること、社会的に見ても明らかにNGです。

教師になる人は、子どもを教え育てようというのですから、まっとうな常識や価値観を持っているはずです。
だから、
自分が嫌だ、だめだと思うことは、大抵「だめ」と言って指導しても問題ないはずです


実は生徒も線引きはわかっている


生徒がやっちゃいけないことをやるから、教師は指導をするわけです。
面白いことに、大抵の生徒はやってはいけないことを理解しながらやるのです

勉強をしないといけないのに、ついテレビを見てしまう
ダイエットしているのに、つい甘い物を食べてしまう
同じようなもんです。

「つい」が出てしまうのです。

その「つい」をまさにそのタイミングで指導できるかを生徒は見ていて、教師自身が線引きをしているかを見ているのです。

スポーツでも選手は審判がどこまで反則を取るのかを見てプレイをすると言います。


微妙な線引きが実は大きな問題


指導の難しいところは、「指導するかどうか、微妙なことが多い」こと。
言い換えるなら、明らかにブラックじゃなくて、グレーな部分を生徒は狙っていると思ったらいいかもしれません。

次のような場面はどうでしょうか?
あなたは指導をしますか。

いつも大人しい女子が、先生に指名されてその答えの声が小さかった。
担任を含め「発表は大きな声でしましょう」と指導しているわけです。

ある男子が「聞こえません」と言った。
元気のいい男子が「お前、大きな声で発表せいや!」と怒ったような口調で言った。
教師自身もその女子の声はとても小さいと思った

正直、その場面を見てみないとわかりません。
指導する可能性はあります。
教室の空気感やその男子の普段の行動などを加味して考えないといけませんから。

ただ、こうした微妙なやりとりが日々行われて、その瞬間にどうするかが、つまるところの「教師の線引き」なのです。そして、生徒が「教師の線引き」を見るのです



指導しないと悪化するだけ


日々、色んな事が起こります。
教師も人ですから、「いちいち面倒だなー。今は放っておこう」と思って、本当に放っておきます。

そんな教師の思いなんて生徒は知りませんから、

教師がストップをかけない = やってもよい

の式になります。
しまいには、

教師がストップをかけない = やってもよい → やりあげてもよい

という勝手な解釈の元に見事に悪化していきます。

いじめなんてものは、その最たる例です。
小さなことを放置しているから、いじめに発展します。

ぼやを放っておくと、大きな火事になるのと同じです。


結局はその瞬間をとらえること


以上書いてきたことをまとめると・


  1. 線引はいいか、悪いかであり、教師の価値判断は大抵間違っていない
  2. 生徒も線引はわかっているがやっている
  3. 日々微妙な出来事が起こる
  4. 指導しないことはオッケーとなり、そのままになる(悪化することもある)

以上のことを踏まえて、教師がすべき線引きとは、

出来事が起こった瞬間に指導すること。
できなければ、まずはストップをかけること


です。
新任なら、なおさらですし。
ストップがかかることが、生徒に与える影響は実は大きいのです。

ストップができなければ、嫌なことが横行する元になります

教師の真価が問われます。