生徒への尊敬を持ちながら、毅然として問題行動に対処していくとはなんですか? | t-labo(中学校教師の支援サイト)

生徒への尊敬を持ちながら、毅然として問題行動に対処していくとはなんですか?

みなさん、こんにちは。tetraです。

今回は、

毎回丁寧に回答してくださりありがとうございます。朝一番にこのブログのチェックをするのが一番の楽しみです。とても感謝しております。ところで「幸せになる勇気」という本も興味を持って読んでいます。
この中で「その問題行動はあなたに向けられている」という部分があります。生徒への尊敬を通じてその居場所を示していく他ないのでしょうか?
生徒への尊敬を持ちながら、毅然として問題行動に対処していく・・・言葉としては何となくわかるような気もしますがいざ教育実践になると難しいです。何か心構えがあれば教えてください。


ということで、大ベストセラーとなったアドラー心理学「嫌われる勇気」の続編が出ていたんですね。
知らなかったです。早速チェックします。
設定は青年が教師になったようですね。となると、けっこう皆さんに関係あるかもしれません。



アドラー心理学のすごいことは、ハッとさせられる点にあります。
自分や回りが常識だと考えていることを一歩上を、想像の斜め上を行く感じがします。



ぼく自身、アドラー心理学については「嫌われる勇気」を読んだだけであって、ズブの素人ですから、一教師としてここでは書かせていただきます。

生徒の問題行動は嫌なものですが、基本的には何かのストレスによって起こっていると思います。
「勉強がわからない」「授業がつまらない」「言い方がムカつく」「家で嫌なことがあった」「友達とトラブルになった」など、教師に関係あるものも、ないものもあります。
授業中の問題行動の多くは低学力によるものですから、教師自身というよりも生徒の資質に関係があると思います。


さて、問題行動への対処ですが。「生徒への尊敬」というのは、生徒をただ一人の人間として捉えることかなと思います。
教師は生徒のことを下に見ます。
「生徒だからいいや」この感覚で入っていき、関わっていきます。

この関わりは、上下関係を前提にしているので「俺がいうことは正しくて、お前の言うことは間違っている」と考えますので、生徒の言動一つ一つが教師の思うとおりでないとNGになり、イライラを募らせてしまいます。
そうではなく、「お互いの言うことに一理ある」と考えれば、きっと関係も変わるし、生徒の受け取り、こちらの受け取りも変わります。



問題行動は嫌なものですが、その本人を一人の人間として見て、言い分を聞いて理解してあげるけれども、こちらの主張は通す、というか、君の言い分も理解したから、こちらの言い分も理解してくれ、という感じかなと思います。

こう考えると、

>生徒への尊敬を持ちながら、毅然として問題行動に対処していく

というのは、理解できる気がします。
感情的な部分と、論理的な部分を切り離すといいますか、生徒の想いを汲み取るけど、指導はきちんとするという感じですかね。





生徒指導の時に「泣かさないといけない」「怒鳴らないといけない」とか考えるのは愚の骨頂で本質ではないんですよね。
でも、「そうしないといけない」と脅迫的に考えるから、生徒指導が窮屈なものになるし、無理強いをしてうまくいかなくなります。

どっしり構えてとよく言うものですが、その気持ちって本当に大事だな思います。
何か起きれば、「ああー、なるほどね」とゆったりとした気持ちで捉えられると楽になると思います。

生徒指導 = うまくやらなきゃ

の公式は古いんです。
生徒指導として、言うべきこと、やるべきことをやったら、それでよし。

という感じでしょうか。