うまくいかない人ほど、人間の器が小さい | t-labo(中学校教師の支援サイト)

うまくいかない人ほど、人間の器が小さい

教員としてうまくいくかどうか。

これって長く教員をやっていると、人間の器なのかなと。

つまり、うまくいかない人人ほど、人間としての器が小さいのです。



何といいますか、うまくいっている人ほど仕事ができるし、「仕事の量が多い」わけです。
なのに、仕事が多いのに文句なんて言っていないでしょう。
うまくいく人ほど重い学級を持たされて、うまくいかない人ほど意図的に軽い学級を作って持たせてもらえます。

だけど、文句は言っていないでしょう。
やっぱり、人間としての器が大きいのだと思います。

うまくいかない人ほど、恨みつらみをためるし、自分は不遇だと文句を言うし、「周囲は何もしてくれない」と自分の現状を嘆きます。
その人から見た真実はそうかもしれませんが、でも、周囲の方がもっとたくさん仕事をしているし、うまくいかない人の仕事や生徒指導をカバーしてくれているわけです。

うまくいく人ほど仕事が増える不公平な世界です。
うまくいかない人は生徒や同僚の文句を言っていればいいので、気楽だなと思うこともあります。
自分のことで手一杯で許されるわけですから。




こちらはうまくいかせるために、生徒のトラブルなどに目を光らせているし、問題は初期に発見するために観察したり、聞き込みをしたりしているし。
そうやって努力して「うまくいっている」のにも関わらず、そうした努力をしない人たちのつけを払わされるわけです。
それなのに、うまくいかない人はどんどん文句を言って、問題をこじらせる。

やれやれです。

もちろん、例外はあるでしょうけども、うまくいくかどうかは「人間の器に比例している」と言ってもいいと思います。
教育の現場では、この器こそが力の証なのかもしれませんね。

もう少し具体的に言うと、人間の器が大きいからこそ、生徒のことまで大事にするわけです。
器が小さい人間だからこそ、自分のことしか見ておらず、生徒の不幸に対して「自分でなんとかしろ」と平気で言ってしまうわけです。

そうじゃないですか?

仮に生徒が行儀が悪くて、口も悪くてわがままであるとして、器の低い人間はその生徒のことをけなして、「こんな生徒とどうやって人間関係を築けるのか!」と憤慨します。
器が小さい証拠ですね。
器が大きいというのは、生徒のそうした行いなど温かく受け止めるだけの力があるし、懐の広さがある。

生徒がどうのこうのという前に、自分がどうあるかをわかっているからでしょう。
いつも反発される、生徒ではなくて、教員の責任論に関しても、正直なところ、この考えを受け入れられない人は「器が小さい」と思います。
だから、うまくいかないとも。





厳しいことを平気で書いていますが、教員の仕事って人を育てるわけですから、何が必要かって、人間として憧れる、尊敬されるような生き方をしているかどうかです。
人に対して恨みつらみを抱えた、すぐに抱えるような人間に憧れませんから。

ですので、まずは人間の器を大きくすることを考えないとうまくいくようにはならないのかな。


ちなみに、こうやって厳しいことをブログで書くのは、誰も面と向かっては教えてはくれないからです。
私自身は職場では文句を言いません。
よりよくするための提案や具体的な解決案を出します。
それが仕事だと思うし、うまくいかない人に要求してもだめなのかなと思っています。