生徒のことを不幸にすることが「悪」だという認識が根本にありますか? | t-labo(中学校教師の支援サイト)

生徒のことを不幸にすることが「悪」だという認識が根本にありますか?

うまくいくとか、うまくいかないとか。
生徒になめられるとか、授業が荒れるとか。

教員にはいろんな要素がありますが、結局は

生徒を不幸にしないこと

これこそが、気にするべきことであり、達成することなのかなと思っています。



多くの教員は、「自分」だけしか見ていません。
自分が大事。
自分はきちんとできているのに、生徒がだめだから物事がうまくいかない、と。

すべてが自分目線です。

教員としては、自分という「我」から抜け出せなければうまくいかないと思います、自分の世界に閉じこもる人はたいした教員ではありません。
教員の本務は生徒を育てることですから、自分ではなくて、生徒(他人)なのですから。
主体は生徒。

その生徒を不幸したらいけない、というのが根本であり、基準と考えましょう。




嫌がらせをされている生徒がいたとして、加害者がとても指導がしづらい生徒だとします。
そうすると、

うまくいかない人 → 加害者に反発が怖いからうやむやにして終わる
うまくいく人 → 被害者を不幸するのだけは嫌だから、最後まできちんと粘って指導する


差になっていきます。

普段から生徒と良好な人間関係を築きましょうと言っていますが、その根底には「生徒ありき」ではないといけないわけです。
「我」捨てて、他人へと目を向けないといけない。

我を捨てられない人にいくら良好な人間関係を、と言っても伝わらないのはこのためです。
自分の目が自分しか見ていないから。





生徒と良好な人間関係を築こうという思いは、生徒のことを不幸にしない(幸せにする)という思いから、自然に出てくるものです。
良好な人間関係を築けと言われて無理矢理にそうしようと思う人は、「自分のことだけが大切なのに、なぜ生徒を大切にしないいけないんだ!」という自分の心が反発しているのかもしれません。
うまくいかないですね。


という風に考えると、良好な人間関係を築くなどと言う前に、生徒のことを不幸にしないという価値観を意識すること、身につけること、息を吸って吐くくらいに自然にできることのようになっていかないといけないのかもしれません。
ここまでの精神性の高さが求められるのが教員の仕事なんですよね。