生徒の受け取りが、教員のやったことである | t-labo(中学校教師の支援サイト)

生徒の受け取りが、教員のやったことである

みなさん、こんにちは。tetraです。

「自分はちゃんとやっているのに、生徒が納得しない」「生徒がおかしい!」というのはよくある話で、うまくいかない人はそのパターンです。
うまくいかない人は決してさぼっているわけではないのは、よく知っています。

ただ、以下の公式を知らないのです。

教員やったこと  →  生徒の受け取りではない
生徒の受け取り  → 教員のやったこと




例えば、あなたが後輩の異性の教員にアドバイスをした時に、あなたは大変満足しますが、後輩は「先輩からセクハラを受けた」と感じるかもしれません。
そうなった時に、真実はどちらでしょうか。

それと同じ現象で、生徒は「遊び」と言ってイジメを繰り返しますが、被害生徒にすると「とてもひどいことをされた」と言うわけです。
この時の真実はどちらでしょうか。

いじめの定義が「被害者がいじめと感じたらいじめである」に変わったの画期的であると思います。
この定義は、被害者でも加害者のためでもなくて、指導をしない教員に仕事をしろという意味合いなのです。
今までは「ほら、遊びって言っているじゃないか」と教員が指導から逃げることができたのに、それができなくなり、最終的には学校がマスコミで叩かれるように責任を取らされるようになりました。


ここで例に挙げたことに関しては、私としては、

受け取り手がそう感じたならそれが真実である、という解釈です。
もちろんのこと、行為をした方にはその人なりの意図があるというのは考慮しますが。




つまり、、、、

なぜうまくいかないのかという、相手の受け取りを無視して、自分の意図が100%正しいと考え、信じて曲げないからです。
自分はおかしなことを言っていない、必要なことをしたとしても、相手がそう感じてくれなかったらだめなんです。


教員の腕の見せ所は、言うべきことを言うのじゃなくて、「自分の言いたいこと」と「相手の受け取り」をイコールにすることです。
これがプロとしての技量です。
うまくいかない、生徒から嫌われる、生徒から攻撃されるのは、

「自分の言いたいこと」 ≠ 「相手の受け取り」

となっていて、それどころか

「自分の言いたいこと」=「生徒への意図的な嫌がらせ行為」

となっているのです。
だから、生徒は反発するのです。





どんな生徒にも心はあるし、人とつながりたい、わかり合いたいという気持ちはあります。
どんなに学級崩壊を繰り返したとしても、1日中破壊衝動を抱えて、攻撃し続けることをよしとする生徒なんていません。
嫌われるには原因があります。

その原因は、相手の受け取りを考えていない、考えきれていない、想定しきれていない、相手の価値観を理解できていない、いい方がまずいあなたの仕業なのです。