大事なのはスキル論? 人間論? | t-labo(中学校教師の支援サイト)

大事なのはスキル論? 人間論?

自分がアップした記事を振り返ってみると、その時々によって「ああ、この時はこんな興味があったんだな」というのがわかります。
最近の記事は、スキル論ではなくて、精神論というか、人間論みたいなことを展開しています。

人間論というのは、とてもわかりにくい表現ですが、いいのが見つからなかったので、そのまま行きますが。
人間論というのは、「人間としてこうありなさい」という論を展開することです。

粘れとか、いい人間関係を作ろうとか、そういったある意味では精神論のようなもの。



スキル論というのは、生徒指導の時に◯◯をする、ような具体的な指示です。
行動を言及するのが特徴で、何をやっていいかわからない人にはスキル論で話をすると「わかった」と迷いが晴れます。

このスキル論と人間論のどっちが大事なんでしょうかね。
以前はスキル論が多かったのかなと思うんですが、最近はほぼ「人間論」を展開していますね。

スキル論を展開する方が有益だと考える読者さんが多いのかなと勝手に想像していますが、その予想に反して人間論を展開してます。
スキル論の難しいところは、状況説明が必要であり、その状況の中でしか通用しないこともあり、普遍的ではないこと。
そして、極めつけは生徒指導は土台にある人間関係が、大きく影響しているので、同じことをしたとしても同じ結果になる保証がないんですね。

それと質問を受けていると、スキル論も未熟だけど、そもそもの人間論の部分ができていないと感じます。
感覚的には、人間論をないがしろにして、スキル論に走っていると感じます。




経験的には、人間論が根本にないとスキル論は全く活きてきません。
でも、スキル論に走りたがるのは、こちらのほうがすぐに効く魔法だと考えるからであるし、「自分の在り方」を変えるような努力はしたくなくて、「口先」だけを変えたいからです。

この人間論なのですが、重要だと考えて記事を書いていると、今度は話がボケてくるような感じもします。
同じような話を展開していたりすることもあるし、これがどこに活かしたらいいのかを理解してもらえるかもよくわかりません。
そうした部分をうまく書けない、考えをまとめられないのも自分の課題だなと。


話を戻すと、

大事なのは人間論であると考えています。
どんなスキル論であれ、「誰が言うのか」という「誰」がとても重要であるからです。
それには、人としての魅力を高めていくこと、これが一番です。

こんな話をすると「全然、教員と関係ないじゃないか」って言われますが。
教員にとって大事なのは、むしろ人間論であると、考えてください。
自分がどれだけ人間としての魅力を備えていくか、どれだけ器が大きくなるか、どれだけ相手の立場になって物事を考え、話せるようになるかです。






学校の中でうまくいかないのは、問題を起こす生徒に対して、いつも腹を立てるからです。
そうして腹を立てながら、スキル論から生徒のことを言い負かそうとしてしまうので、生徒も教員に対して挑戦してくるような循環ができてしまいます。

これを人間論の立場から考えるなら、問題を起こす生徒に対して、腹を立てない、腹を立てる必要を感じることがありません。
そこに意義を認めてあげればいいし、生徒のそんな行動を面白がってあげてもいい。
問題を起こす生徒に必要なのは、言い負かすスキルではなくて、受け止めてくれる教員であるから。


このスキル論の立場からは、ちょっと前の時代であれば、体罰教師だったのかもしれません。
体罰教師は腹が立つから生徒を殴る。
でも、今は禁止だから、腹が立つのは同じだが、生徒のことを言い負かして発散している。

もしかしたら、そういう方向性があるのかもしれません。
もちろん、純粋に生徒指導スキルで生徒指導を機能させることは可能ですけども。


人間論が先にあって、その部分に精通・成熟しているから、そこから出てくる言葉に深みがあるわけで、人間論があるからスキル論に発展するとも言えます。
スキル論を突き詰めていくとあまりうまくいかないので、ある人は人間論に大事さに行き着くかもしれません。

誰が何を言うときに、「何」よりも、「誰」が大事なのかなと思っているこの頃です。
みなさんはどう考えますか?