努力しているのに評価してもらえないと嘆くなら、生徒に対してはどう? | t-labo(中学校教師の支援サイト)

努力しているのに評価してもらえないと嘆くなら、生徒に対してはどう?

いつもいつも好き放題に書いてしまって申し訳ないなと思ってはいます。
ブログというのは、無料であり、選択可能なメディアであるので、見たくない人は見なかったらいいし、見ている人と現実的なつながりはないので、ここの記事を読まなくても何の影響もないわけですから。

ま、いっか

ということで書いています。
だからといっていい加減なことを書いているわけではありません。



良薬口に苦し、という言葉があるように、何かを発信することはある人にとっては、受け入れがたい場合があります。
このブログは、日常生活の中では面とは言えないことを書いています。
それを言ってしまうと、天狗な教員たちは「侮辱された」として怒ってしまうからです。

キーワードとして「うまくいかない教員」を挙げているので、うまくいっていない人たちにとって、私は「冷徹」で、「偉そう」で、「何でもダメ出しをする奴」だと思います。
そもそも偉そうに書いているお前にそんな力量があるのか? と疑いの目で見ている人もいるでしょう。



さて、

そんなこんなでブログの記事はうまくいかない人をなじっている、努力を一切認めていないと捉える人はたくさんいると思います。
「私は努力しているのに、お前はひどい!」って。
私はそんな方たちのために慰めを書くためにブログをやっているわけではないので、書きません。

生徒は「努力」が評価され、教員はプロとしての「結果」が評価される


この意識はもっておかないといけません。
どんだけ努力をしたと主張しても、生徒がいじめにあって放置していたならそれはいけないでしょう。
問題行動を制御できずに学級崩壊をさせても「努力したから」と評価してくれというのはおかしい話でしょう。

教員は結果を出さないといけない。
ボランティアなら努力を評価しますが、かなりの大金をもらっていますから。
教員ならマイホームを余裕で買えますよ。





ということなので、「努力を評価してくれないのはおかしい」と言われると、どうなのかなと思いますし、私にそれを求めてもだめでしょう。
求めるなら「同僚」に対してでしょう。
「冷徹人間の私」でさえ、リアルの人間関係であれば「過程」や「努力」を評価しています。

その上で「結果」を出すためにフォーカスします。
不特定多数に向かって書いているので、その度に「努力」をほめると冗長になるし、話がぼやけます。
一番の問題は、

結果ではなてくて努力を褒め始めると、この部分だけを取り上げて「ほら、ここに書いてあるからいいんだ」と自己正当化するために、ブログを利用されるから、私は嫌なんです。

努力は大事だけど、結果を出すことにフォーカスしないと教員としては失格。
そのために、私はここでブログを書いているわけです。




と、、、言い訳ばかりを書いているような感じですが、ここから本題です。
私に対して、周囲に対して「努力もっと評価してくれよ!」と声高に主張するのであれば、

あなたは問題を起こす生徒に対しても努力を評価しましたか?



ってことです。
あなた自身が他人に「過程の評価」を求めるのに、他人に対して「過程の評価」をしていないでしょう。
だから、うまくいかないわけです。

自分だけ、自分だけとこだわるのは、もうすでに「自己愛」に落ちています。
そうなる、そういう傾向がある人は、心が弱くなるとすぐに自分に走ります。
このベクトルでは生徒とはうまくいきません。





私に対して「過程や努力を評価しろや!」と感じている方は、自分に与えられることではなくて、他人に与えることにフォーカスしないといけないと思いますよ。
私はあなたと現実的につながりのない人間であり、そんなつながりのない人間にさえ、与えられることを求めることは自己愛の危険信号です。

冷たい言い方なのかもしれませんが、教員は「自己愛」に陥りやすいので、まずはそのチェックをした方がいいと思います。
また、リアルな人間関係を充実させましょう。