学校の遅れている生徒指導のスタンダードの話 | t-labo(中学校教師の支援サイト)

学校の遅れている生徒指導のスタンダードの話

うまくいかない人がどうしてうまくいかないのかを、質問してくることがあり、アドバイスをするのですが、どうしてもそれは受け容れられないようです。
この壁を超えるともっともっとうまく行けるようになる人は多いのだと思います。

その一方で、どこまで何を求めるのかという問題にも行き着きます。



こうした記事を書いているのは、なんかいいアイデアが沸かないかなと思って書いているだけなんですが。
書くと思考は整理されます。


現実的に見て、あまりうまくいっていない教員がいます。
この「あまり」がいけないのかもしれません。

その人 → 十分
私 → 何かの拍子に崩れていく危険

となっているわけですね。
あなたはどう思いますか?

このまま放置でいいのかなと思うのですが、

その人 → 表面的な問題が起きていないからいい
私 → 問題がくすぶっているんじゃないか?

となります。
問題の兆候が現れてくると、

その人 → 気づかない。仮に気づくようなことがあると、ま、トラブルになっていないならいいや
私 → 兆候は即対処


そして、問題を起きると

その人 → ここから対処すればいいじゃん
私 → もう対処済み

となります。
私基準からすると、問題への意識が低すぎて、対処が遅すぎるのです。
だけど、その人基準で言うなら「正当な手続き」となり、実はこれが「学校のスタンダード」です。




ので、私の話、アドバイスをすると受け入れてもらえないことが多いですし、「そうですね。そうします」と言いながら何もしない人ばかりです。
案の定、問題が起きるわけです。


一度は大きないじめ問題にまで発展するようなトラブルになり、保護者がとても怒って、担任と校長が何度も何度も謝罪行脚をすることになりました。
いじめの解決は時間がかかりませんでしたが、保護者との怒りが収まるまでには相当な時間がかかりましたし、そのこともあって、その教員が担任しないなど学級編制には縛りがかかりました。

その時には、私は1ヶ月以上前からその担任に「これはいじめになるから指導した方がいいよ」と言い続けていたんですが。
そうした事実があるのにも関わらず担任が動かなかったから、保護者がカンカンになったわけですけども。

このトラブルでは、表面上の大きなトラブルに発展しなかったから担任は何もしませんでした。
でも、休憩時間などで嫌がらせを受けているなどの問題が見られていたのです。
ですので、担任には指導するように言ったのですが、「本人の訴えもないし、保護者から電話をかかってないし、学級ではそうした兆候はないから問題ない。もう少し様子を見てから考えたい」と逃げるだけでした。





他学年ではあったので、学年主任に言っても反応は薄く、担任に「対処して」というばかりでした。
その学年主任は担任から「本人から話を聞いて対処している」的なことを聞いて、その後は何も確認しなかったのでした。
ので、学校の問題として取り組む時には「担任が嘘の報告をした」と主張しました。

その生徒は保護者には訴えずに、休みがちになり、結局は他学年ではありますが、私が校長に言ってようやく校長が動くという形になり、解決に向かいました。
校長自身も、実のところそうした問題が起きつつあるということは、把握していたのです。


「何か表面的に大きな問題が起きない限り何もしない」、私はこれが学校のスタンダードだと思います。
ですから、問題が起きた時に対処したらOKと評価されるし、そういう待ちの姿勢です。

私は問題が起きないように小さな兆候の段階で指導するべきだし、生徒は成長させるように働きかけていくべきと考えているので、スタンダードからは外れます。
このスタンダードから外れているがゆえに周囲へのアドバイスは空回りする代わりに、私自身は成果を上げています。
成果を上げているからアドバイスをくれと言われるわけですが、スタンダードから外れているから、実行する人は少ないわけです。





自画自賛するような形で書いていて申し訳ないのですが。例を挙げるとしたらこんなものしか挙げられなくて。
学校のスタンダードっておかしいですよ。
意味がわかりません。


と私は常々思っているんですが、こうやって考える私はむしろ「変人」「変わった人」扱いです。
「以前は」と言ったほうが正しいのですが、実績を上げていくと変人は「できる人」に昇格されるわけです。
この辺もいい加減なものです。

同じことを言ったとしても実績がないと誰も相手をしないのに、実績があると話を聞いてくれるわけです。
人は内容で判断しているのではなくて、権威で見ているだけです。

だから、「学校のスタンダード」という権威から抜け出せずに、学校のスタンダードに沿えば正しい、それるのは頭がおかしいと非難します。
学校のスタンダードに縛られるよりも、「不幸な生徒を救う」ことに価値をおかないと生徒指導は機能しません。

私の感覚では当たり前なのですが、それは学校のスタンダードではないのです。
だから、嫌がらせを放置するし、「私は指導頑張ったから」と言って問題が解決しないのに自己正当化に走る教員が出てきます。


ちなみに、「学校のスタンダード」に従って問題が起きてから「きちんと解決している」なら、それはそれで十分な成果を出していると言えます。
でも、私はそれでは後手に回るし、問題を余計に大きくするし不満足であるし、あまり効果的ではない、効率的ではないし、不幸になる生徒が増えると考えています。