再・体罰教員を目指すべきでしょうか? ~ 肝を考えてみよう | t-labo(中学校教師の支援サイト)

再・体罰教員を目指すべきでしょうか? ~ 肝を考えてみよう

みなさん、こんにちは。tetraです。

今回は、怖いという感じの悪い教員がいますが、この人を目指すべきですか?について、質問者さんからです。

先に勝手な想像をして、いい加減なことを書いたことを謝らせてください。
見当違いなことを書いてしまって申し訳なかったです。

では、見てみましょう。

「怖いという感じの悪い教員がいますが、この人を目指すべきですか?」についてご回答ありがとうございます。
コメントで書かれている通り、本校は荒れた学校です。
誰なら生徒らを落ち着かせた上で授業できるというのかというくらい、どうにも荒れから抜け出し切れていません。

前回質問させていただいた「感じの悪い先生」のように生徒の首根っこや胸ぐらを掴んで恫喝のようなことをする先生は一時的には場を静かにしたり、生徒に有無を言わさず何かやらせることはできますが、私の感覚では自分がやられて嫌なことをやりまくる先生という感じです。
生徒に「お前を犬に例えるなら、ウンコ加えて喜んで走り回ってるバカな犬だな」とかひどいことも言いますし、結果さえ出せばなんでもありなのとかドーピングしてでも大会記録更新しようとしている俺こそ偉いだろと言ってるようなものじゃないのといつも心の中で思っています。

この手の先生が「頑張っているのは俺たちだ。俺たちが正しい」と言いまくりますが、その一方で、世話焼きのおばちゃん風の女性教員が生徒と和気あいあいと関わり、上手に生徒を良くしていっている姿も見ます。
私は後者のような先生を見習わなければと思って試行錯誤を続けていますが、まだ力不足なのでその先生みたいにうまく指導はできません。
また本校では前者の先生が正義になっています。

どの先生も荒れを鎮めることはしきれていないからこそ、生徒指導をどう進めることが望ましいのか質問したいと思いました。
ちなみに私自身は生徒指導案件があれば駆けつけていきますし、他の先生のサポートにも入ります。
保護者連絡もこまめにします。経過を確認して声かけもするようにしています。文句だけ言って何もしないわけではないです。


ということです。



好き勝手なことをやる教員を「体罰教員」としたときに、以前書いたように、学校が荒れていると体罰教員が幅を利かせるようになり、その体罰教員のやり方では学校はよくならないと書きました。
そのときには、体罰教員に他の教員が頼り切りになり、何もしないか、批判だけするようになると。
だから、体罰教員の権力が高まっていくのだと。

そうした意味合いで、前回の記事では、とにかく行動しなさいと書きました。
文句言っている暇があったらさっさと行動しなさいと。
それこそが体罰教員の支配から解放されることだからです。




ただ、それは私の思い込みの暴言であり、何か問題が起こればいつでも駆けつける素晴らしい方でした。
荒れている学校ではいろんな問題が起きているはずです。
授業がうるさい、生徒が暴言を吐く、不要物を持ってくる、校内徘徊をするなどなど、日常茶飯事でしょう。

質問者さんは、そうしたときにはすべて駆けつけるわけですよね。保護者連絡もまめにされているし。
なのに、質問者さんの校内の地位は低い、体罰教員に好き勝手言わせている状況があるというのがどうにも腑に落ちません。
何事にでもサポートをする方は周囲から「すごい人だ」と認められて、少なくとも自分の学年団は結束していくように思います。


前回の質問でありましたが、何を目指すのかというときに、「世話焼きの女性教員」を目指すとここにあり、しかも体罰教員のやり方は気に入らないわけですから、当然のように「世話焼きの女性教員」を目指してください。
今回紹介していただいたようなおかしなことをやっている教員に対して「憧れ」を持つのはおかしすぎます。
当然無視です。

生徒に不当に扱っているとどこかで報復や落とし穴が待っています。




腑に落ちない点で言えば、

・体罰教員が結果を残しているとは一体何のことであり、誰が評価しているのか
・体罰教員を誰が正義だと称えているのか(流れを作るほど大勢ってことでしょう)

という当たりでしょうか。

1つ目の「結果を残す」が何かはわかりませんが、他人が結果を残してもいいじゃないかってことです。。。
他人のやったことを妬むのであればただの嫉妬です。
結果を出したなら褒め称えればいいだけです。

やり方が汚くて生徒への悪影響があるのであれば、管理職に言うなりして、適正な方法にするべきでしょう。
自分が結果を出すことにフォーカスしましょう。





2つ目の正義だとみんなが認めている流れを作っている教員たちは何もしない人たちなのか、同じことをしている人たちなのか。
そんなことはどうでもいいような気もしますが。
自分でやることをやるだけです。

その方は他学年なのだと思いますが、学年団としてどう動くかが問題であり、その中でどうやって協力してやっていくかが問題です。
正直、その人のことはどうでもいいわけです。
学年団として体罰を推進していくなら反対をすればいいし、うまくいかないならみんなでフォローしてやっていこうとすればいい。

質問者さんは、おそらく学年内のトラブルにはすべてサポートとして関わっているでしょうから、学年内の発言権は大きいはずでしょう。
保護者連絡も意に介さずにできるほどですし。
それならどんどん問題を解決していっている方のはず。

となると、学年団の結束は高くなるし、うまくまとまって学校として荒れてはいるが、学年としてはある程度荒れを落ち着かせるだけのことはできているのではないでしょうか。
その状態を作れば、体罰教員は何も言えないでしょう。
体罰教員は「個」であり、学年団の「チーム」にはそう大きな影響力は持てません。




そもそも論を言えば、体罰教員なんて、質問者さんが気にするべき問題ではないということです。
質問者さんが気にするべきことは、「なぜすべての生徒指導にサポートで入っても現状が一つもよくならないのか」ということでしょう。
ここに体罰教員なんて関係ないのでは?

ただ質問者さんが体罰教員のことを目の上のたんこぶで気に入らないだけであって、それはあなたの生徒指導力とは別問題のことですし、あなたの課題は生徒指導力でしょう。
であるがゆえに、体罰教員を目指すべきかどうかを迷っておられるのかもしれませんね。
だから、前回のような質問になったのかもしれません。

しかし、

何を目指すかを気にすることではなくて、


なぜ、今の生徒指導がうまくいかないのか、あなたには何が足りていないのかを考えることでしょう





困ったら人のスタイルを真似ようとするのは、あるあるです。
でも、それって本質的ではないのです。
生徒指導の肝は何か、人間関係の肝は何か、それがあってこそできることです。

あなたが嫌っている体罰教員のやり方は気に入らないかもしれませんが、おそらくあなたよりも、その方は「生徒指導の肝」や「人間関係の肝」がわかっているのです。
真似るべきことは、「肝」の部分であって、彼の「体罰」の部分ではありません。


あなたがどういうスタイルで生徒指導をしたらいいかがわらかないのは、「生徒指導の肝」や「人間関係の肝」がわかっていないからと考えて、その「肝」が何であるかをまずは理解すること。
そして、それを行動レベルにどうやって落とし込むかを考えるべきです。
「世話好きおばちゃん」のやり方がいいと思っているかもしれませんが、そのときにでも「肝」がない限りは、うまくいかないわけですね。





「肝」の部分がないゆえに、他人の言動に振り回されて、何をやっていいのかわからない状況になるわけです。
となると、「肝」の部分が何かを勉強することでしょう。
繰り返しになりますが、「肝」は表面的なことではなくて、「本質」の部分であり、根底にある「哲学」なのです。

今回頂いた部分では何がどう足りていないのかわからないので、頼りになる同僚の方にいろいろとやり方を教えてもらいましょう。


どうでもいい話題かもしれませんが、今塾生用の記事として、「生徒が嘘をつく場合にはどうしたらいいのか」を書いています。
どうして生徒が嘘をついてもいいのかわかりますか?
「肝」がわかっていれば、生徒の嘘なんてどうでもいいってことなんですが。

また「1対多の人間関係」を塾でやっていますが、あなたは1対多の人間関係ってどういうことかわかりますか?
どうやって人間関係を作っていくのか、それを学級ベースでやっているのかを理解していますか?




私は塾でやっていることを「肝」だと思っていますが、それを感覚的に何も考えずに「なんとなく」やっているのと、肝を理解して「意識的にやっている」のでは明らかな差があるということです。
「肝」をどうやって手に入れるかを考えてみてください。

※ tetra塾に入れという意味ではなくて、tetra塾では肝を提供しようとやっているという例なだけです。あなたが肝を手に入れる場所を探しましょうということです。
※ 塾生の方は各テーマの肝がわからないときには質問をしてくださいね