続・体罰教員を目指すべきでしょうか? ~ここは考え方の転換が必要かも | t-labo(中学校教師の支援サイト)

続・体罰教員を目指すべきでしょうか? ~ここは考え方の転換が必要かも

みなさん、こんにちは。tetraです。

今回は、

度々ご返答をありがとうございます。「再・体罰教員を目指すべきでしょうか? ~ 肝を考えてみよう」を読ませていただきました。

「生徒指導は複数対応で」と言われますが、どうも「複数対応なんて他人に頼るのは無責任だ」と考える先生が多い学校で、まるで結束力のない状態です。
生徒対応している先生がいてもその先生まかせで知らんぷり。
これではいけないと思って、生徒指導をしている場面を見かけたらすぐに駆けつけますが、その先生自身が「一人でやるからいい」と協力を断る場合が多いです(生徒指導部長が一人でうちの学年の生徒に指導をしているのを見かけたので駆けつけましたが、私の同席を断った上で生徒に対して「お前を見ているとむかつくんじゃ」と人格否定発言を始めました。

生徒は反省の態度がなく、ふざけていましたが、このような感じで、1人の教員がぶちぎれるなどして、こわい感じを出すことでなんとか場をしずめようとしていることが多い学校だと思います)。
また、部活顧問による絶対王政の部活経営で生徒を押さえつけている側面も大きいです。

私は特に専門の部もない人間なので、部活でそのような力を発揮できませんし、なんだか部活に偏りすぎている学校経営ってだめでしょと思っています。
まとめますと

◆そもそも結束しない教員団
◆こわい教員による暴力的指導で生徒を鎮めている場面が多い
◆部活偏重+顧問絶対王政
(ついでに服装違反などもほぼ注意しないという学校文化)

という学校の在り方のため、スタンドプレーに走るこわい体育会系教員が目立ち、幅を利かせています。
生徒とじっくり話をしてなんとかしようとする先生はそこまで多くもないし、指導自体が目立たないので「要領が悪い先生」「無駄なことばかりしている先生」のように体育会系教員らからは思われているのかと思っています。

私は生徒らからマスコット的な存在になっている教員なので、そういった先生とはタイプがずいぶん違います。
体育会系の先輩教員らから「〇〇先生(暴力教師で、雑談だらけの授業と部活を通じて生徒からの人気を勝ち取っている)には生徒らはなめたくちを聞かない」「〇〇先生なら…」「しっかりしろよ…。そんなぬるい関わり方しているからなめられるんだ」といつも言われています。

私は正しくありたい。
本当に生徒のために働き、生徒を良くする教員でありたい。
そう思って日々を過ごしています。力不足ではあるのですが、、、どうしていいかわからず行き詰まり感を感じています。


ということです。



学校の荒れに関しては、ひどいとしかいいようがないのは事実だと思います。
その結果として、潰されにくい体罰系の教員たちを教育委員会が配置して、教員の病休を出さないなどの配慮なのだと思います。

さて、

私の感じることを率直に書きますと、

体罰教員たちがいようといまいとそれは関係なくて、そもそもの自分の力が通用しなければ意味がない

と思います。
ので、、、、気に入らないのは事実だと思いますが、だからといって文句を言ってもそれはあまり意味がないというか、自分の責任から逃げるような行為でもあります。

要は自分が一人で指導ができないわけですから、この部分をどうするかを考えないと意味がないわけですね。
焦点はここであり、体罰教員を責めるのは問題から目をそらしているような気もします。




荒れた学校で体罰教員が幅をきかせていようとも、きちんとした指導力がある教員がいれば一目置かれるし、きちんと生徒には通用するからです。
質問者さんの指導が通用しないのは、体罰教員のせいではありません。

それと、

>生徒とじっくり話をしてなんとかしようとする先生

というのは、私の経験上、生徒指導の力は低いです。
やり方は文字にしたりすると、とても響きがよくて甘美なのですが、、、実態はうまく指導できないから、生徒のご機嫌を取りながら話をしてなんとかしようとしているだけなことが多いですね。


生徒指導力があれば結果は出るし、なければ結果は出ません。
厳しいことを言うと。
その現実を知って、周囲を見てみましょう。





あなたがいいと思っているやり方をしている人は、結果を出していますか?
あなたが気に入らない人のほうが案外、結果を出しているのかもしれませんね。
やり方は気に入らないけど、生徒指導力はあるのだとはっきりと認めたほうがいいと思います。

その教員の人間関係の作り方の大事な部分は何だと思いますか?
暴言に本質があるわけではありません。
生徒に対してどういうアプローチをしているかをきちんと観察して見抜いて、暴力的要素を排除して実践するのがいいでしょう。

人間関係をうまくつくれるようにならないと、現状は何も変わらないでしょうし、うまく人間関係を作れれば生徒指導も機能するし、そうなれば体罰教員たちからも一目置かれるようになります。




選択肢としては、

1.1人で戦える力をつける
2.協力者をつくる
3.当り障りのないようにさっさと逃げる

という感じでしょうか。
3は学校の環境もあり、、、仕方ないこともあるかもしれませんね。
推奨できるやり方ではありませんが、必要なら仕方ない。

2は、周囲がどんな雰囲気であろうとも、生徒指導力が不足しているなら、人の手を借りるのが一番。
借りるためにはその人と良好な人間関係を作らないといけません。
全員が一人で指導をしたがっているわけではないと思いますから、そうした人を見つけて協力していくのも手です。

1は、前回書いたように生徒指導の肝、人間関係の肝を理解しないと難しいです。
時間もかかります。
このときに大事なのは、「どうやって力をつけていくか」となり、師匠をどうやって見つけるかということになります。




うまくいかないことを、うまくいくことに変えるとなると大変なことなんですよね。
ただ、、、

若手の教員であるなら、最初からうまくいくわけがないですし、今は力をつけるための修行期間であると考えて、悪戦苦闘するのが仕事なのだと捉えるほうがいいのかなと思います。
教員って本当に力でない通用しないわけですし、大変な仕事であるから給料が良いわけですから。
長い教員人生において、最初からずっとうまくいくなんて都合のいいことはありません。


理想と現実のギャップはあります。
ただ理想を実現するだけの力がないのも事実であり、今は理想のために力をつけるときだと捉えて、いかに成長できるような日々を送るか、またその中で辛いだけではなくて、いかに教員人生を充実させて楽しむかということも大事です。

私はこうやって偉そうなことを書いていますが、最初の3年間はとてもとても、、、苦しかったですね。
理想と現実は違いが明らかにありましたし、先輩教員の嫌がらせ、無駄なことをさせられる、納得出来ないことをさせられるなど、たくさんありました。




今から考えると、玉石混交な日々であり、やり方がおかしいと思う人でも、生徒指導や人間関係の肝を理解している人もいたし、すべてではなくて「ここはいいな」と思える部分もありました。
そういう部分を見て盗み、成長できたのが今につながっていると思います。

人の手を借りない限り、現状を魔法のようにはよくなりませんが、こうやって苦労して何かを勝ち取る「修行期間」があるのも事実だと思いますから、体罰教員を非難することに焦点をあわせるのではなくて、自分の力をいかに上げるか、どうやって日々楽しみ充実させるかを焦点化するほうがいいのではないかなと思います。

何にもならない回答かもしれませんが、急になんでもできるようにはならないので。
まずは考え方を変えるところからやる方がいいかなと思います。