包み紙で指導をします。これは理想論ですか? | t-labo(中学校教師の支援サイト)

包み紙で指導をします。これは理想論ですか?

みなさん、こんにちは。

今回は、ガムの包み紙で、犯人が出てきませんでした。もう少し時間をかけて指導しようと思いますがどうですか?に対して、再質問で、途中を省略・整理しています。

ガムの件の回答ありがとうございます。
今の学年は、主任の意向で1年生のころから指導が徹底しています。
ので2年生になった今でも反感はあまり出ません。
地域柄、生徒のレベルも他より高いので、指導レベルのハードルは少し高くなっていると思います。

ガムの件でも「一度アンケートをとって誰も出てこなかった。だからってこれで終わりにしたら、バレなきゃこれくらいで済まされるって言ってるようなものだよ。もう1時間使ったら?」とアドバイスを頂いたのが理由です。
「今出たら説教したりしないよ」と言いたいのが本心ですが、大人になれば悪いことをしたら罰せられます。
それでも自分の犯したことを自分から言える生徒を育てていきたいですし、それが徳だとも分かってもらいたいと思っています。
「悪いことは悪い、正しいことは正しい」と言えるクラスを徹底して作っていきたいと思っています。


もう1時間使って、アンケートのみんなのコメントを名前を伏せてまとめた学級通信を読み合わせ(「仲間を疑うのがつらかった」「犯人は怒られるのが嫌で出てきずらいと思うけど、出てきて欲しい」などの意見がありました)後に、再度アンケートをやりましたが、原因が分かりませんでした。
「原因が分からなかったのは、こういった事態を起こす雰囲気を作ったクラスのせいでもあるし、担任の責任でもある。また、今回このクラスは他者からの信頼を失った。どうやって信頼を取り戻していくか考えてほしい」と話しました。
もう1時間学活を使って、クラスとしてどうしていきたいか話し合わせるつもりです。

長くなりましたが質問です。
ここまで細かいところの徹底指導というのは、今の学校だからこそ、今の主任だからこそできるのでしょうか?
tetraさんが言うように、「名乗り出ることに対する責任が割に合わないから出てこない」が生徒の心理だと思いますが、本来はこれは間違っていると思います。(1対1の生徒指導では相手に合わせてだと思いますが、全体の前でそう思わせる発言はどうかと…)
こういった些細なズルさも認めず間違いなんだと分かってもらえる子どもを育てたいです。(私もそれができていないから原因が分からなかったのですが、今の主任はそこを目指していると思います) やはり、他の学校ですと、それは理想論でしょうか?


ということです。



理想論であろうが、何であろうが、自分がやってみたい教育実践で、生徒のためになるものであれば、どこであろうともやってみればいいと思います
実際に素晴らしい実践をされていますので、そのことを突き抜けてやってみればいいと思います

私が口を出す次元の話ではありません


余計な事を以下に書いておきます。


現実的な話をすると、ガムの包み紙で騒ぎになるのは、よほどの教育課題が少ない地域でないと無理な話です
今回いろいろと省略していますが、いただいた内容を見る限りで私は腑に落ちました
とても落ち着いて、学力の高い、つまり親の教育力や所得が高い地域だと言うことです

こんな地域はまれでありますから、普通の学校であれば、包み紙ごときでこんな騒ぎをしていれば、指導が回らなくなります
ですので、現実的ではありませんし、私はとても違和感を感じます





>tetraさんが言うように、「名乗り出ることに対する責任が割に合わないから出てこない」が生徒の心理だと思いますが、本来はこれは間違っていると思います

という部分は、「今出たら説教したりしないよ」と言うような例を挙げたからだと思います
私が気になるのは、質問者さんが何をもって罪を償われるのかという判断基準の問題です
ガムの包み紙を落ちていて、それを名乗り出た者がいたときに、それは「悪」なのでしょうか?

どうすれば罪が償えるのでしょうか?
その罪が償えたという判断基準をどこにあるのでしょうか?
説教をしなければいけないのでしょうか?


たいていこういう時には、教員の裁量で決めており、教員の裁量というのは、つまりその場の気分です
いい加減な基準なのです
と言う風に考えていくと、

A 包み紙に関して、すぐに名乗り出た場合
B 後から名乗り出た場合
C アンケートで自分がやっていないと嘘をついて、他者からの情報で分かった場合
D 嘘をついて逃げおおせて、1か月後に分かった場合







と言うような感じで、罪の重さが違う時には、一体どういうような指導するのでしょうか?
その差はきちんとつけられるのでしょうか?

それにもかかわらず、すぐに名乗り出た場合に、説教なしをおかしいとして説教をガンガンするのでしょうか?


それと、学活などを使ってしつこく指導をされているわけですが

>「原因が分からなかったのは、こういった事態を起こす雰囲気を作ったクラスのせいでもあるし、担任の責任でもある。また、今回このクラスは他者からの信頼を失った。どうやって信頼を取り戻していくか考えてほしい」


クラスや担任の責任、他者からの信頼を失ったといった部分がありますが、ガムの包み紙のことを知らない生徒たちは、一体何の責任があるのでしょうか?
信頼を取り戻すと言われても、一体何のことを言っているのでしょうか? と生徒はおもうのではないかと思います

極端な連帯責任で、学級の生徒たちを苦しめるのは教育的なことで、これが細かいところの徹底指導と言うことでしょうか?
こうした指導で、生徒は納得して、自分たちが信頼回復に努めようと努力するのでしょうか?

担任の責任とあるので、担任はどういう責任を取るつもりでしょうか?
坊主にでもするのですか? 減給するのですか? 生徒に偉そうに説教するのですか?








私のやり方がおかしいと言われたから、ムキになっているわけではなくて、そんなことはどうでもよくて、私はすごく違和感を感じるんです
一体何のための指導であり、関係ない生徒たちがなぜ何度もしつこく言われないといけないのか、そもそもなぜ教員の言う通りにすべてが動かないといけないのか、そういったものができないからといって、徹底的に担任がしつこくしつこく何度も、責め立てて、担任の納得がいくようなことを言わなければいけないのだろうか、と。

思想洗脳のレベルかなと思います


こうしたことが起きてくるのは、とにかく自分の色に生徒を染めなければ、気が済まない教員がいる時に起こります
しかも、地域が良いために、その教員が暴走して無理をしても、何とかついてこれる生徒がいるから、余計に暴走が止まりません




考えてみて欲しいのですが、

職員室で落とし物があって、それが管理職が許せないとして、アンケートをとりました
誰も犯人が出てこないので、「社会ではこんなことは許されないんだ!」と説教をして、再びアンケートをとり、その内容をまとめたプリントを読ませて、自分の大事な仕事時間をつぶして、「このことについて考えろ、お前らは、地域の信頼を失ったんだ!信頼回復に努めなければいけないのだ!」と延々と説教されます

しまいには、後日また時間を取られて、そのことについての説教タイムがあるわけです
どうやったら信頼回復できるのかを、議論するための会です

ある教員がいいました「悪いのは犯人だけで、なぜ我々も巻き込まれないといけないのですか?」そうすると管理職は「そういう雰囲気を作ったお前たちが悪いんだ! だからお前たちは信頼を失ったんだ! それを回復するのがお前らの義務だろ!」というわけです



という感じに、私は映ります
質問者さんたちは、悪い事は悪いとして指導したいわけで、周囲にいる生徒たちも、犯人が名乗り出ないから悪者になっているわけですよね
それを職員室でされたら、あなたは納得がいきますか?


と言うことなんですよ、私の違和感は
自分がやられて嫌だ、おかしいと思うようなことは、絶対に生徒にやってはいけないのです
ガムの包み紙があったからといって、それならさっさと名乗り出て、事情を説明したらそれで良しとするような、寛容な文化はないと難しいのではないでしょうか?

ちょっとしたミスを悪だと捉えるような文化は、それほどまでに大事なものですか?
人間はミスをする生き物ですし、ちょっとした悪さもするでしょう
それを正直に名乗り出たことに対して、制裁を加えなければいけない問題なのか、今年はほんとにわかりません





そもそもガムの包み紙にどんな罪があるんですか?


単純に、学年を支配している教員たちが、そうしたことを「許せない!」という暴走した正義感で制裁を加えようとしているだけではないでしょうか?


やっていることは、素晴らしいことだと思いますが、ちょっと暴走しすぎに私は感じます
生徒が優秀で、おとなしくあるので、教員の無理も何とか吸収できてしまうからこそ、教員が無茶な事ばかりしていると思います
生徒を指導するときの感覚は、世間の感覚や生徒の受け取り、常識といったものを、きちんと反映していかないといけないと思います

こうしたバランスが本当に取れているかどうか、今回の指導はやりすぎではないか、と言うようなことが私は心配になりますし、ここまでエスカレートした指導をしてしまうと、他の問題でも、後に引けなくなってしまい、指導に追われるようになります

生徒たちが大人しいからいいものの、どこかのタイミングでタガが外れて、生徒たちが反発すると大変なことになるでしょう
包み紙でこんな騒ぎになるのだったら、嫌がらせがあったらどのぐらいの騒ぎなるのでしょうか?

それを、今回は暇だから、許せないからといった教員の気分で、大げさなことをしているわけであり、これが首尾一貫して行われれるのでしょうか?
そうした危険性も含んでいる指導のように思いますし、その中で行われている指導哲学は疑問を感じざるを得ません






水を差すような言い方で申しわけありませんが、もう少し考えてみる方がいいのではないかなと思います
質問者さんは2年目でありますので、そもそも世間のことや教育のことを、生徒のことなどを全然わかっていないと思うので、より暴走がひどくなっているように思います

学年主任は、質問者さんにいろんな経験をして欲しいからこそ、今回のような過剰な指導をやってみたら?と提案したのだと思います
それがうまくいくかどうかは別問題として、こうして実行に移すからこそ、いろんなことに気づくのだと思います

今回のやり方がベストかどうかわかりませんが、多くの学びがあると思いますし、この指導がのちのちにどんな影響を学級に与えるのかも、質問者さん自身が学ぶ良い機会になると思います
果たして、これが本当に正しい、細かな徹底指導であったかどうかです





余計な事ばかり書いてしまって申しわけなかったです
今の学校は特殊な状況だということを、一応知っておいてもらえたらと思います
私が知っている限りの学校では、まずありえない話ですし、そうした指導をしたら、生徒の心は離れていくし、保護者からのクレームも入ってくるでしょう

私のバランス感覚で言えば、そういう感じです
いろいろやってみること自体、全然悪いことではないですから、私が書いたことで気にすることはないです

これは私の経験から話している話ですから、それが正しいかどうかわかりません
学年主任さんの話からすると、私の話はおかしな話であり、やはり学活の時間を使うべきだということです
それだけの違いです