「生徒のため」として何でもやるのは間違っている | t-labo(中学校教師の支援サイト)

「生徒のため」として何でもやるのは間違っている

「生徒のため」と言うのは魔法の言葉ですね
教員というのは生徒のために働くわけであり、この言葉の解釈を巡ってはいろんなことが起こります

・本当の意味で生徒のために動く人
・「自分の生きがい」に置き換えて動く人
・「生徒を管理」するために動く人

いろんな解釈があります。



うまくいかない教員は生徒のためと言う時には、基本的には生徒を管理するために使っています
生徒のためではなく、自分が自己正当化するためにやっているんですね


今回取り上げたいのは「自分の生きがい」と「生徒のため」を履き違えている人です
これほど痛い人はありません

どういうことかというと、以前相談があったように

「生徒のため」なら、毎日自作の宿題を作りそれを提出させなさい。
そしてそれを周囲に強要する教員です



あなたはどう思いますか?
これは生徒のためでしょうか?




実は、実際のところこういうふうに言われてしまうと、反論できない人は多いのだと思います
宿題を出さない・だそうとしない教員は、生徒のためを思っていないと言われると感じるわけです

私は明確に否定します


それは生徒のためではなくて、「教員自身のため」にやっていることです


どういうことかといいますと、人には生きがいが必要です
その生きがいを仕事に求めるとこうなってしまうわけです
「部活狂の人間」「宿題狂の人間」なんて最たるものでしょう

自分の人生を充実させるために、周囲の生徒や人間を巻き込んでいるのです
こういう言い方をすると、とてもこらえてしまいますが、傾向としては、「独身」「夫婦の仲が悪い」「趣味がない」という人によく起こる現象でしょう


「宿題狂の人間」は、おそらく女性が多いと思うのですが、もしも、家庭があれば絶対にそんなことしないでしょう
いかに早く帰るかを考えるはずです
自分の生きがいがないから、それが生徒に向かってしまうのです

教員というのは「生徒のため」と言ってしまえば何でも許される部分があります
そこで自己正当化を起こして、周囲の教員や生徒巻き込んで盛大な巻き込み事故を起こすわけですね




さて、なぜ毎日宿題を出すことがいけないのでしょうか?

このやり方って、結局、「学力至上主義」なんですよね
生徒のため、というのは、「学力を上げることだけ」なのでしょうか
これが大きな落とし穴です

生徒のためと言うのであれば、安心安全な学校生活を保障することや学校生活にやりがいを感じさせることではないでしょうか?
勉強に特化することが生徒のためになるとは思いません
勉強したくないとか、勉強に魅力を感じていない生徒に関しては、本当の意味で生徒のためになっていますか?

宿題を出し、周囲の教員にも強制させることによって、その教員は支配欲を満たし、生きがいを得ているだけです
普段の自分には何もないからこそ、こうやって生徒のためといって周囲を無理やりに動かすことに快感を得ているのです
たったそれだけのことです

学力というのは人間の一つの価値でしかなく、それですべて人生が決まってしまうのであれば、東大生か日本で一番幸せになり、三流大学の学生は不幸せとなりますよね?
実際にそんな世の中になっていますか?

生徒のことを学力という面でしか見えないのは、教員としてとても浅はかです
それに、そうした「宿題狂の人間」に反論できないのは、その人も学力のことしか見えていない浅はかな人間であると言うことです
(だから、若手はこういうは何を落ちていきます)





「部活狂の人間」も同じようなもので、生徒たちを巻き込んで、自分の自己満足のためにやっています
ただ、生徒の能力をどんどん伸ばしていくために、その教員が努力をしますし、部活動は強制参加ではないので、生徒たちは納得して参加しているわけで、これはお互いにのウィンウィンの関係で、私はいいと思います

これでまずいのは「生徒のため」として、周囲の教員にも部活を熱心にやれ、やらないのはおかしい、と攻撃をしてしまうことです
「宿題狂の人間」も、周囲にそのことを強制しなければ何も問題はないのです
それを、権力と勘違いして、周囲にも幅をきかせようとするから痛いことになってしまいます


生徒のためではなくて自分のためにやっているんですよね
何がどうおかしいのかをきちんと知っておかないと、こういう教員に出会ったときにはもらい事故になります

生徒のためと言う時に、本当はどういう意味なのかはよくよく考えてみてください