話す指導は通じないのか? | t-labo(中学校教師の支援サイト)

話す指導は通じないのか?

どういうふうに表現していいのかわかりませんが、ここでは「脅す指導」と「話す指導」と表現させてもらいます

脅す指導 → 生徒に恐怖を与えるような指導。大声で指導する、進路で脅す、恫喝するなど、教員が自分の能力・権限を使って最大限に脅す指導

話す指導 → 生徒とコミュニケーションをしながら指導。生徒の立場を理解しながらも、こちらの言い分に納得させる指導

という感じでしょうか
今回はこの2つの指導の比率について考えてみたいと思います



きっかけとしていただいたのが、体罰的な指導を否定するのは反対で、2:8がいいと私は実感していますというご意見です
試行錯誤の結果として脅す:話す=2:8という比率が出て来たようです

これはとても素晴らしい成果だと思います
この比率や考え方について、私は素晴らしいと思うので否定する気は全くありません
今回記事を書くのは、否定をしたいとか、自分の主張の正しさを証明したいとか、そんな目的ではありません


日々の教育実践をしながら、どういう形であればうまく通じるのか、それをみんながそれぞれの地域で試行錯誤していけばいいと思っています
ある意味では、正解なんてないのです
ただ、その人が目指す理想や形というものがあるわけです

ですので、私が考える形というものを、ご意見をいただいたことをきっかけに考えてみたいなと思ったわけです
ので、決してご意見を否定したいとかではないので、この部分だけは勘違いしないようにしてください



さて

私の考えで言えば、脅す指導はやらないほうがいいと思っています
その理由については8月のコンテンツの「脅しの教育がいけないという理由」をよんでいただけたらと思います
だからといって、やってはいけないというわけではないのです

学校で起こることは様々であり、その諸問題に対して教員がどれだけの引き出しを持っていて、その場面に応じて何をどう使うかというのが腕の見せどころになります
ある場面ではそのやり方がとても良くて、違う場面ではそのやり方はまずいということはよくあることです

生徒が取っ組み合いの喧嘩をしている時に、「落ち着こう、話せばわかるよ」と一生懸命に語りかけても意味がありません
緊急事態なわけですから、力ずくで引き離す必要があります
このように場面に応じて使い分けが必要です



そもそも、なぜ教員は脅す指導をしたがるのでしょうか?
私の答えは、単純明快で、それが楽だからです
脅す指導の根源となるのは、教員の「体格差」や「学校で与えられている権限」をもとに行っています
それは生徒の立場からすると、不平等な力なわけです

不平等な力の行使によってなされることに、納得は生まれないでしょう
これが脅しの教育の弱点であり、本質ではないかと思います
もっと言えば、教員というだけで特権が与えられており、その特権の講師だけで何とかしようとする教員が増えてしまえば、ますます教育現場は荒れてしまうでしょう
教員が努力することをやめるからです


では、話す指導はそれほどまでに偉大なのでしょうか?
話す指導を勧めると、いただくのは「それでは生徒になめられてしまう」とか「即効性がない」といったことです



例えば、話す指導に即効性がないというのはどういう意味でしょうか?
指導は学校で起きる問題を解決するために行います

「生徒が授業中に私語をしてうるさい」ということ考えてみると、話す指導よりも脅す指導が大事だと考える人が圧倒的でしょう

生徒が騒いでいる → 脅す指導 → 生徒が黙る

という形を想像しますね
このことを考えるときに、もう少し考えて欲しい事があり、それは何かと言うと


生徒が騒ぐまでに教員は何をしていたのか?


ということです
生徒が騒ぐ状態になるまでに、急にドカンとうるさくなるのではなくて、その前兆のように私語が少しずつ少しずつ増えていくのではないかと思います



毎回授業に行くとうるさいクラスに関しては、今までの授業の中で私語を放置してきて何なくうるさい状態が容認されてきた、のがあるはずです


ということで、「騒ぐ状態」になるまでにその経過があるわけですね
そのときに教員が何をしていたかだと思うんですね
脅す指導をメインに考えている人は、その人の中である一定ラインに来ると爆発するように怒るのではないかと思いますが、逆を言えば、そのラインまではかなり許容して、生徒を泳がせているともいえるのではないでしょうか

なぜ泳がせるかというと、すぐにドカンと脅す指導をしていれば、生徒から嫌われるという恐れや頻繁にやっていると生徒に効かなくなるという恐れがあるからではないでしょうか
それゆえに、ある程度を様子を見るので、状況を悪化させた時に発動することが多いように思います


話す指導は生徒の立場を理解しながら進めていくもので、私語をうるさい・騒ぐ状態まで放置する必要はありません
気になった時にすぐに対処できるのが話す指導のメリットではないかと思います

「うるさくなるまで待って脅す」と「気になった時に話をする」のでは、指導と方向性が違いますが、どちらが即効性がありますか?
話す指導に即効性はないのでしょうか?




それとともに考えて欲しいのは、話す指導をする時に、

あなたの話は生徒に通じていますか? 理解されていますか?


ということですね
教員の特権を使わずに、話でやって行こうとするわけで(もちろんのこと、生徒からすれば教員という後光は感じています)、話の中身が大事になるわけです
きついことを言ってしまえば、魅力のない人間が話をしたとしても通用しないでしょう


つまり、話す指導にはそれなりの実力・魅力が必要なのです


この部分の問題が一番大きくて、話す指導がうまくいかない原因ですね
どうして話す指導がうまくいかないのかと言うと、その人が人として努力してこなかったのではないかと思います
脅す指導をやってきた・目指している・夢見ている人にとっては、その指導に関して何の努力をする必要もなくて、ただ本気で怒り散らせばいいだけです



ここに人間的な魅力なんて必要ないのです
そんなことを夢見ているのでは、人としての魅力は育っていきません
だから、そういう人の話は魅力がなくて通用しないのです


ご意見いただいた中で、脅す指導は2割、話す指導は8割と経験則で書かれています
つまり、8割、ほとんどの部分が話す指導であり、そこは人間の魅力として何とかしないといけないとこの方は感じているわけです
この比率が正しいかどうかは別として、話す指導はどうしても必要であり、そのために人間として魅力を上げる努力をしていかないとをいけないわけですね

これはどうやっても避けることができないことです
人間の魅力を高めることがどうしても必要であるのであれば、脅す指導を目指す理由なんてないわけですし、日々、話す指導の練習だと思って、どうやったら話が通じるか、どうやったらいい人間関係ができるかを追求する毎日の方が、数年後の結果が全く違ってくるはずです

話す指導に即効性がないとして、脅す指導ばかりに魅力を感じているがゆえに、魅力を上げる努力も忘れて、いつの間にか魅力のない人間になってしまい、歳だけとっていき、生徒との年齢差が離れて心も離れて行き、どうしようもなくなっていきます




話す指導に効果がないとか、生徒になめられるとか、そういったことを平気で言う人は、そもそもの人間としての魅力がないと言うことです
生徒に通じるだけの魅力が足りない、努力が必要だということ
だからといって、脅す指導に走ってしまうと、どうしても必要になってくる話す指導ができなくなってしまいます

ひどいことを言ってしまえば、どうやってもあなたは教員として通じないんです、これが答えになると思います


脅す指導とか話す指導とか、どちらが有効性があるかという前に、それをきちんと使いこなせるだけの力量をあなたが身につけることが先であるということです
方法論ありきの前に、それを使いこなせるだけの力量があるかどうかです
クラブの指導でも、どちらのフォーメーションがいいとか検討することがありますが、選手がその作戦なりをきちんと理解できているとか、基本的な練習ができているといったことが大原則になるのと同じです

あなた自身に、それらを使いこなすだけの力量がまずは必要なのです
生徒指導というのは問題解決であるわけで、脅す指導と話す指導のメリットが何かをよく理解して、使い分ければいいわけです



私は、経験的に言えば、すべてを話す指導で行う方が効率的であり、良い成果が出ると考えています
「すべて」と書いてしまうと、反発してしまう人もいるでしょう
それはそれでいいのです

「脅す指導 > 話す指導」と言う風にその場面でなるのであれば、脅す指導をすればいいのです
その時に、話す指導のメリットや力量が足りていないのかもしれないと考えてみてください
私はどんな場面でも「話す指導 > 脅す指導」になると考えるようになりましたし、そのイメージもついています


それと、こうやって二つの選択肢だけで考えるのも考え方が狭いかなと思います
「脅す指導をマイルドにする」「話す指導をハードにする」などの強弱についても考えてみるのは面白いと思います
これらの指導を入り交えて融合させてみるなども一つのやり方ですね


大事なことが何か分かっていますか?


それは「生徒の納得」なんです
正当納得させたら勝ちなんです


方法論なんてはっきり言ってしまえばどうでもいいんです
生徒が納得してしまえば、物事は解決するし、保護者も納得するのです

だから、私が生徒指導する時には「生徒がどうやったら納得するだろうか」が常に根底にあるわけで、脅す指導だろうが、話す指導だろうが、正直なところどっちでもいいわけで、最終的に納得というゴールに行けばOKなのです
明確に区別する必要はないわけです




私がどうして「話す指導」をブログで取り上げているかというと、経験的にその方が生徒が納得するからであり、うまくいかない教員が身につけるべきことは、生徒を納得させる方法であり、それが身につくのが話す指導だからです
それと、ブログで中途半端のことを書いてしまうと、都合のいい解釈ばかりされてしまい、学びにならないだろうと思っているので、「話す指導」を特に取り上げているわけです


ということで、そもそも論で言えば、脅す指導がいいとか、話す指導が悪いとか、ということを気にしている方は、本来大事であるはずの「生徒の納得」を置き去りにしているのでしょう
よくありますよね、方法が目的になっていることが。
まさしくそれです


長くなったのでそろそろ終わりにしようと思います
タイトルとの整合性があるかどうかわかりませんが、とにかく、「方法論の善し悪し」ではなくて、「どうやったら生徒を納得させられるか」「生徒を納得させるだけの魅力をつけるか」を気にする方が良いでしょう
それがあれば比率なんてどうでもいいのです