マズローの欲求5段階説を元に、あなた自身を分析してみましょう | t-labo(中学校教師の支援サイト)

マズローの欲求5段階説を元に、あなた自身を分析してみましょう

神様やUFOの存在は信じませんが、私はマズローの欲求5段階説を信じています
このマズローの考え方を元に、生徒や保護者、同僚を見てみるといろんなことがわかってくるからです

教員としての現実に当てはまる考え方だと思っていますし、自分では考えつかない視点を与えてくれます
今回はこのマズローの考え方を元に、自分のことを分析してみましょう



マズローの欲求5段階説というのは

1 生理的欲求
2 安全欲求
3 社会的欲求
4 尊厳欲求
5 自己実現欲求


という形で構成されています(階級の呼び名はまとめている人で違うかもしれません)
以下は私の解釈が入っているので、合っているかどうかはわかりませんので、マズロー欲求5段階説について調べてみてください


1の生理的欲求

これは、生きていくための基本的な食事・睡眠・排泄といった生理的な欲求です
自然界の動物はここの欲求を超えることがないと言われており、人間はこの欲求は基本的に満たされていると言われます


2 安全欲求

これは安全安心な暮らしがしたいという欲求です
経済的安定、健康状態の維持、事故の防止、補償の強さなども含まれるようです


荒れている学級は、学校にいる間は安心安全な暮らしができませんよね
だから生徒たちは、この段階で止まっている可能性があります

同様に、教員で、学級が荒れている、生徒とうまくいかない日々、同僚とうまくいかない、四面楚歌を感じるという人は、この安全安心な暮らしがないと言えるかもしれません




3 社会的欲求

これは集団に属したり、仲間が欲しくなったりするなど、孤独感や社会的不安を埋めるための欲求です
自分が社会から必要とされているとか、果たせる社会的役割があるという感覚であったり、どこかに所属しているとかは、誰かに受け入れられているといった感覚です
自分の生活に安心安全があるからこそ、生まれてくる欲求。


学級の中で位置づかない問題生徒は、この社会的欲求が満たされてないと言えます
確かに学級の中に自分の席はありますが、その集団から必要とされているか、受け入れられているかは別問題です
いつも問題を起こしている生徒であるからこそ、所属したいとか受け入れられたいとかという欲求があるのではないでしょうか

また自分が学級から浮いているからこそ、他の学級の問題生徒などと徒党を組んで、自分の所属する社会を作ろうとしているわけです


教員の場合であると、学級の生徒たちや職員その同僚から受け入れられていないとか、自分の考え方に共感してくれる人がいないとか、自分が学校の中でどういう役割を果たしているのかわからない、という人はこの欲求が満たされていないのかもしれません


4 尊厳欲求(承認欲求)

これは他者から認められたい、尊敬されたいという欲求です
社会的欲求は外的なものであったのが、それが満たされるようになると、自分の内から満たされたいという欲求が現れるようです

低いレベルの尊厳欲求は、他者からの尊敬、地位、名声、特権、注目を得ることを目的としています(他者評価)
高いレベルでは、自己有用感、自己信頼感、自立性などを受けることで満たされるようです(自己評価)


生徒が学級の中で頑張るのは、低学年のうちはただ単に学級の中で目立ちたいという低いレベルでの尊厳欲求だったかもしれませんが、高学年になっていくと、自分に自信を持ってるからこそ、代議員をやるとか、話し合いに参加するとか、といったような形で、貢献するようになるのかもしれません

学級の中でも、できる生徒というのは私利私欲を捨ててみんなのためにと考えられますよね
そういう生徒はここまでの段階に到達しているのではないかと思います


教員に置き換えてみると、自分がやったことを過剰にアピールするとか、生徒に威張り散らすとか、そういった人達は低いレベルでの尊厳欲求を満たそうとしているのかもしれません
そういった他人からの「すごいね」があるから頑張れるという形で、褒めてもらわないと伸びないという人もここかもしれません

そんな他人からの評価をどうでもいいものとして、自分がここまでキャリアを積み上げてきたから、きちんとできるんだという自信があり、他人に自慢しなくても頑張れる教員なのかもしれません
その結果として「あの先生はすごい」と同僚から評価されるようになるのです




5 自己実現欲求

自分の能力を引き出して、創造的活動がしたいという欲求です
行動の動機が、この欲求に帰結されるようになるそうです


この自己実現欲求はどういうものなのかは、正直自信がありませんが
クラブを一生懸命頑張ってきた生徒が、高校で全国大会を目指して、強豪校(家から離れた場所、寮生活)に入る覚悟をするのも、この段階まできているのかもしれません
というのは、小学校の時から外部チームでずっとそのトレーニングを積んで来ており、自分が頑張ってきたという自信や周囲から認められるだけの力量があるからこそ、自分の能力を高校で発揮したいと考えるのではないでしょうか


教員の場合では、自分の個性や得意を元に、自分なりの学級経営や授業展開、普段の教員としての振る舞いをやってみたいと考えて、実践する段階なのかもしれません
教員という仕事が本当の意味で充実していて、生きがいだといえるレベルだと思います


ここでポイントになってくるのは、下のレベルの欲求が満たされないと上のレベルに行けないということです




うまくいかない教員のことを考えてみます

学級がうまくいかない、授業がうまくいかない、生徒との人間関係がうまくいかないなどがあると、安全欲求の段階で引っかかってしまうように思います
学校に行くのが苦痛だ、授業するのが苦痛だ、生徒と合うのが苦痛だ、といった形で、日々の仕事がストレス以外の何物でもなくなってしまいます

この段階でつまずいてしまうと、次の欲求である社会的欲求に目がいかないと言うことではないかと思うのです
つまり、周囲からきちんと評価されたいとか、職場で必要とされる人になりたいとか、そういったものが全く考えられなくなるわけです

だから、周囲からのアドバイスもなかなか聞けなくなるのではないかと思います
とにかく、自分が安心安全な生活をしたいということにしか意識が向かなくなり、自分のことばかり、つまりは自己正当化に走ってしまうのではないでしょうか

そして、困ったことに学級がうまくいくようになるかといえばなりません
学級の中に安心安全な生活がないからです
その確報は誰がするかといえば教員であり、そのために私は嫌がらせを撲滅しようと言っています

嫌がらせが学級からなくならない限りは、生徒たちも学級というものに考えがいかないし、学級に所属しているという愛着を持つこともないでしょう



うまくいかない教員というのは、同僚の教員たちとの人間関係もうまくいきません
安全欲求の段階でつまずいているのもあるかもしれませんが、仮にそれが確保されたとしても、まずは他者評価を満たしたいと思うわけですね
生徒指導がうまくいかないとか、学級経営がうまくいかないとか、こういうことがあると、同僚から評価されるどころか、マイナスの評価をされてしまいます

これは社会的欲求を脅かす行為であるかために、自分を守るために自己正当化に走るのかもしれません
高いレベルの社会的欲求を満たすためには、結局は自分がいろんなことができるという自信が必要になります
そうなってくると、学級経営や授業が一人前に行えることが必要になってきそうですね


・・・・なんだか教員だと欲求の階層を満たすのはなかなか難しそうですね

逆に言えば、何をすればいいのかが見えてきますね

安全欲求を満たすためには、嫌がらせを撲滅するということです
嫌がらせに対しては徹底的に指導する覚悟を持って放課後も指導すれば思う以上に成果が得られると思います



社会的欲求というのは、つまりは、学校の中に自分の居場所を見つけなさいと言うことですよね
だから、同僚との人間関係を大事にしましょう
そのために私が言っているのは、学年団に貢献することです

自分の仕事じゃないとかは関係なしに、学年がしなければいけない仕事があれば率先してやっていきましょう
他者に貢献するからこそ周囲から認められるわけで、自分に居場所があると実感できるようになります

尊厳欲求というのは、周囲から尊敬されるといったようなものになりますが、これは学級経営などを一人前にならないといけないと思うかもしれませんが、考え方を変えてみると、

「あの人はどんな時でも誰の文句も言わないのはすごい」
「学年の仕事を率先してやってくれるあの人はすごい」
「誰に対しても公平に丁寧に接しているあの人はすごい」

という形で周囲から評価される方向性もあるわけです
生徒指導はいまいちかもしれないが、自分は学年の中できちんと貢献している、人として立派だという、自分に対する自信ができてくるはずです




というような形でて欲求がどんどん高いレベルになっていくほど、魅力的な教員になっているということです
魅力が高いからこそ、同じ言葉でも生徒の反応は全く違ってきます
社会的所属があるからこそ、周囲から協力やフィードバックを得られて、自分がどんどん成長していけるようになります

この正のスパイラルがうまくまわることによって、自分が教員としてどういうことが得意で、どういう個性があって、どうやって生かしていったらいいのか、というもの模索し始め、それを実践するようになる
つまり、自己実現欲求に到達していくのではないかと思います


マズローの欲求について考えてみましたが、このブログでいつも言っていることとやることは変わらない、というのが一つの見方ではないかと思います
言い方を変えるなら、このブログで言われていることができなければ、自分の欲求は満たされずに、幸福度も下がっていくのではないかということです
人としての成長が遅れていくというのもありますね

という感じで、自分のことを分析してみてください