謝罪の力。こんなに大きいなんて・・・あなたは知っていますか? | t-labo(中学校教師の支援サイト)

謝罪の力。こんなに大きいなんて・・・あなたは知っていますか?

私が知る限り、教員という生き物は生徒に誠実に謝れない生き物です
これも私がおかしいなと思う部分です

こうやって教員の態度に対して何でもかんでもケチをつけているように思う人もいると思います
そんな人は、教員のことを特権階級だと思い込んでいる人なんでしょうね

私からすると、教員はどう考えても特権階級に思えなくて、それなのに思い上がって特権階級だと振る舞っている教員たちを見ると、残念なふうにしか映りません
それをこじらせている代表がうまくいかない教員でしょう



教員というのは、自分の失敗に甘くて、生徒の失敗に厳しいです
生徒のミスを責めたてるのに、自分がミスした時には笑って済ましたり、「あ、ごめんごめん」で済ませたり、まさに自分の都合でしか動いていないのが見て取れます

あなたはこの現象をどう思いますか?

教員だから当たり前と思いますか?


どう考えてもおかしいでしょう




そして、どう考えてもおかしいことは、あなたは「それはおかしい」と言えないといけないし、そんなおかしなことをあなたはやってはいけないのです
「私はおかしいと思います。でも」と逆接の言葉をつける人は、本当の意味でわかっていないし、自分は特権階級だと思い込んでいる人です
そういうのは本当にやめて欲しいなと思いますし、


ただの汚い人間


でしかないです
「教員は聖職である」、と発言する人がいますが、これほどズレた感覚を持った人はいないでしょう
聖職と考え始めると、自己犠牲を元になんでもしなければいけないようになってしまいますし、それを強要されるようになります
だから、だめな教育委員会の人間などは平気でそんな言葉を使います

教員は特権階級でもないし、聖職でもない
だったらなんだってことになりますが、


ただの人間


ですよ




良いも悪いもなくて、ただの人間
教員やっていようが、会社員やっていようが、ただの人間なんです
生徒もただの人間

だからこそ、


目の前の人間を大事にできないのはおかしいのです


たったそれだけなのですが、それすらも理解できない人は教員には多いですね
その愚かな人しか教員にならないのかなと思ったりもします
人気がない職業ですからね
(きちんとした頭脳があって能力がある人間は、普通の公務員になるということです)


教員になるのが悪いわけではなくて、教員になる動機が悪いのかなと思います
ということがここでの趣旨ではないので、またどこかで気が向いたら話題にしたいと思います




そんなこんなで、教員というのは謝らない生き物です
でも私は、積極的に教員は謝るべきだと思います
その謝るというのは、生徒であっても、あなたが普段から同僚に謝っているように謝りましょうということです


たったこれだけなんですが、この効果って本当に大きいのですよ
駆け出しの頃は、生徒指導で最後に謝罪させるわけですが、「殴られたのに、謝罪されただけで許すなんて、生徒も心が広いな」と思っていました

このことについて、考えてみると、殴られたのは体の痛みですが、「一方的に殴られた」という理不尽な精神的な痛みがついて回るのです
殴られた痛みというのは、時間がたてば自然と治りますが、この精神的な痛みはそう簡単に取れるものではありません
それを解消してくれるのが、相手からの謝罪なんですよね

謝罪というのは、本当の意味で悪いと思っていないとやはり言葉にできないと話は思います
謝りたくない人間というのは、本当にいい加減な謝り方しかしません
当然、私はこれを謝りだと認めません




どうして生徒指導の最後に謝りをするのかと言えば、精神的な部分での解消を目指しているからなんですね
うまくいかない教員は被害者ではないので、そうした精神的な苦痛が理解できないので、「言葉だけの謝罪」と考えていて、だから、いい加減な指導をして、うやむやにしてしまうのです
謝罪に何の意味もないと考えているから謝罪させない人もいるし、いい加減な謝罪でも許しているのです

うまくいかない教員にとって大事なことは、本当の意味での解決ではなくて、形式上のやりとりをすれば「誰からも文句を言われない」ことが大事なんです

この差があるんですね


もう少しよけのこと言ってしまうと、うまくいかない教員というのは、その人自身もきちんと謝罪ができません
周囲の教員に迷惑をかけている事実さえ把握できないから、謝ろうという気持ちにさえなりませんし、むしろ自分はみんなから迫害されている被害者だと思っているからです
こうした部分で、周囲の人間は「精神的な負担」を常日頃貯め込んでいて、さらに言えば「謝罪がないから解消されない痛み」になっているわけです

私は生徒に対して悪いことをしたらきちんと謝ります
それが授業中であってもみんなの前で謝ります

これは恥でも何でもなくて、悪いことをしたから謝るというのは人間として当たり前だからです
当たり前のことをしていると、生徒もそれを学んできちんと謝りができる人間になってきます

みんなの前で謝ることが恥だと考えている人は、「生徒がそれでつけあがったらどうするんだ!」と心配している人でしょう
きちんと謝ったのに、それにつけこんで何かを言ってくる生徒というのは、本当に感覚がずれています
そんな感覚がずれた生徒は、学級に2、3人くらいしか多くてもいないでしょう

つまり、きちんと謝る事でその2、3人が調子に乗る可能性は確かにあるかもしれませんが、調子に乗ったとしても、他の大勢の生徒たちが「先生がきちんと謝っているのに」とその言動を許してはくれません
もちろんのこと、その生徒たちに文句を言うわけではなくて、大勢の生徒たちが空気感で「それはおかしいだろ」と、問題生徒に威嚇をします



生徒たちは教員からすればおかしな集団かもしれませんが、当然のように善悪の判断はつく集団です
だから、人間として当たり前の行動をするのであれば、生徒たちはそのことを賞賛とは言わないけれど、きちんと評価してくれます
むしろ、人として当たり前のことを「生徒に弱みを握られるから」「生徒がつけあがるから」といった理由で、しないのは、人としておかしいと思います


謝罪というのは、人の心の傷を癒してくれます
精神的な痛みというのは、後にも残るものであり、それを放置していると、どんどん積み重なっていき、ある時のある出来事で一気に大きく成長します
それが学級崩壊の引き金であったり、生徒の反乱の引き金であったりするわけです

保護者からクレームがついてしまうのも、実は生徒の精神的な痛みを解消していないからなんですよ
あなたが悪いことをしたのに、謝罪をしないから心の痛みが取れず、それが生徒の不満となって、家で話すことで、保護者が爆発するわけです


単純な理屈なんですが、こうしたことを知っているか、いないかで物事は大きく変わります
教員という特権意識で見ていると見落としてしまうことだらけなのですが、ただの人間としてあなたが振る舞うことができれば、余計なトラブルはどんどんなくなっていくのです
その第一歩として考えて欲しいのが生徒であってもきちんと謝罪をすることです