一度の放置で、不信が連鎖する | t-labo(中学校教師の支援サイト)

一度の放置で、不信が連鎖する

教員という仕事は「人間」という生き物をどれだけ熟知しているか、が問われていると考えています
どれだけ学力があるとか、どれだけ校務分掌がこなせるとか、それは二の次、三の次です

あくまでも人間理解なのです



あなたが何か失敗をした時、例えば、「いじめを知りながら放置していた」「生徒に暴言を吐いた」「生徒に暴力をふるってしまった」といった場合に、被害者や周囲はそのことを忘れないということ
何を忘れないかというと、その失敗行動+「解決行動」として何をしたかをです

いじめがあったのにいい加減な対処しかしなかった場合は「頼りない教員」として記憶されて、年下の兄弟が入学してきた時には、その保護者たちからは「あの人は頼りない人だ。いい加減な人だ」と言われます
暴言や暴力に関しても、1回でとんでもなく話題になることはなくて、普通に起きているレベルのことだと思います
それを放置していれば、「あの人は暴言や暴力を振るう」として周囲の人間は記憶します

こうやってイメージや記憶されたものは、忘れされることがなかなかありません
苦々しい経験が当事者たちに残っているからです
恨みは伝播します




SNS、噂話、愚痴、不満。
周囲や保護者にどんどん。

暴言や暴力が問題にならなくとも、この伝播で、あなたのことを「あの人は◯◯だから」とラベルをつけてみんなが見ることになります
ラベル付けされると最悪で、最近はタレントで悪い印象がつくと、なんでも悪く取られるのが当たり前なように、あなたの言動はすべて色眼鏡で見られてしまうのです
暴力教師とラベル付けされたら、ちょっとしたことでも「暴力を受けた」と相手は感じます

それはどれだけ本人が否定しようとも、なかなか拭い去れません
周囲にイメージがべったりとこびりついているからです
それを完全に取り去るまでは時間がかかります

その時間がかかるまでに、たまたま同じようなことをしでかしてしまうと「ほら、やっぱり、あいつは◯◯教師だ」とラベリングが強化されてしまうわけです
まあ、そんなこんなで、人というか、集団というのはラベリングの上からしか見てくれないものです





だからどうするのかと言えば、問題を放置しないことです

嫌がらせを見たらすぐに解決する → 「この先生は嫌がらせがあったら、最後まで解決してくれるすごい人だ」
暴言を言ってしまったら、すぐに謝罪する → 「この先生は間違ったことがあればきちんと謝れる誠実な人だ」

という形で、ラベルがつけられる前であれば、その意味合いは修正可能です
つまり、相手が判断する前、物事が一段落する前にあなたの誠実さをどれだけ見せられるかが勝負だということ
だから、私は嫌がらせを見たら絶対に放置するなと言いますし、事実、私はすぐに対応します

自分の評判を気にしているのではなくて、私自身が嫌がらせがある空間が嫌だからです
あなたにそういう思いがない場合でも、人間は色眼鏡で見るということを知っていれば、変な・不利な色眼鏡をつけられる前に何とかする方が明らかに得策だということを理解した方がいいです

結局、気づいたことをさっさとやってしまう、というのが、一番の解決法であり、教員の仕事術としては優れているのです
うまくいかない教員は何でも後回しにして、特に生徒指導関係は放置しているでしょう?