授業改善の罠。本当に授業は改善する必要があるのか? | t-labo(中学校教師の支援サイト)

授業改善の罠。本当に授業は改善する必要があるのか?

教育委員会も管理職も、延々と「授業改善をしなさい。教材研究をしなさい」と言っています
いつも同じようなことしか言わないことにうんざりする一方、本当にそれが必要なのかと疑ってしまいます

同じようなこと言う前に、働き方や仕事内容についてもっとを考えるべきでしょう
そんなことも考えることができないような、管理職や教育委員会の言葉をうのみにして大丈夫かというような思いもあります
トップだからといって、賢いわけではないんですよね

ここが大きな盲点というか、教育現場の大きな問題です
(無能な上司に振り回されているということですね)



さて、

この授業改善というのは本当に必要なのかという話題です


私個人の見解からすると、「授業改善が必要な人」と「授業改善が不必要な人」に分かれると思うんですよね
もっと言うと、授業改善が必要な人ほど授業改善をしないのが現状でしょう
だから、管理職は全員に一律に言うのではなくて、授業改善が必要な人だけに「授業を改善しなさい」と声をかけるべきですし、どのように改善するかを具体的に本人にアドバイスするべきです

こんなことも考えられないし、具体的なアドバイスもできないから、一律全員に授業改善しなさいと言うわけです

まぁそんなこんなで、授業改善ということを真に受けないといけない人と真に受けてはいけない人がいて、その区別をきちんとつけて欲しいなと思うんですね
と言うのはなぜかというと、きちんと、しかも生徒目線で充実した授業を作った人に対して言うと、「お前の授業はだめだ」という否定なんですね
どこまで行っても認められないと言うかは、どこまで行ってもどんどん研究しなさいと言われるだけであって、それって不毛でしかないわけです




授業改善を考える前に、働き方を考えるべきでしょう

それと、指導要領の改訂や研究授業、学校の年間の取り組みなので新しいテーマ設定をされることがあるのですが、その時に考えて欲しいのは「今使っているものでだめなのか」と言うことなんです
おかしな風潮だと感じるのは、そうしたは新しいことが出てきたときに「1から作らないといけない」と考えている人ばかりだということです

今やっていることは、いい加減なものではなくて、自分がしっかりと考え、生徒の反応を見ながら作り上げてきたもので、それが悪いわけではないでしょう
だからこそ、実績があるんだからそれをそのまま使えばいいし、それを少しだけ改良すればいいのです
何でもかんでも1から作ると考えるのは、今やってること否定にすることに繋がり、教員の徒労感が多いですね

行事に関してもそうですが、毎年やっている行事は実績があるわけで、それをそのまま使うというのが1番効率よく、しかも内容が充実しているのです
変化しないといけないと考えてしまうのは、ただ単にその人がマンネリ化を感じているだけです
でも、生徒は3年で入れ替わっていくわけですから、マンネリを感じる云々言っても、仕方なくて、それを伝統としてやればいいだけのことです



授業研究にしても、教育委員会が偉そうにああだ、こうだと言いますが、これって本当に意味がないんですよね
ああだ、こうだ言うくらいなら、教育委員会が冊子を作って配布して、とりあえずこれをやってみろと言えばいいだけですよ
なぜ現場の教員に試すようにいろいろさせてみるのか、無駄なんですよね


授業改善をしなさいという教育委員会の指示自体も、ほとんど無駄だと思っています
新しい学力観とかいろんなことをいますが、本当に生徒に力をつけたいと教育委員会が考えるならば、教育委員会が総力を挙げて現場でやっていることを集約して、その位やり方や指導案を配布すればいいだけなんです

それを各学校に研究しなさいよと言って、教育委員会がちょこちょことだめ出しをして帰っていくという、教育委員会的なノルマを作っているだけのことです
これで教育がよくなるわけなんてないんですよ
ただ単にやっているのは、教育委員会も仕事していますよとアピールですよ




こうやって書いていくと、「お前が楽ばかりしようとして、自分で何も考えようとしない愚か者」と批判を浴びるかもしれません
でもね、考えて欲しいのは、国から教科書で教えなさいと言われており、その地域一帯は同じ教科書を使っているわけです
教える内容も、学習指導要領に則ったものという縛りがあり、教科書の内容をすべて教えないといけないで決まっているわけです

つまり、我々教員はフランチャイズのようなもので、何をするべきかは決められているんですよ、すでに
違うのは生徒だけ
教える内容は決まっている

であれば、全国一律に文部科学省が作成した授業パワーポイントを配布して、各教員がそれを使って授業すればいいわけですよ
教員の創意工夫が必要なんてどうでもいいわけです
同じ内容をやりなさいと法律で決められているからです

国が内容を指定していながら、教材などを決めないから、各教員がいろいろ考えないといけなくなり、レベルもまちまちになってしまい、指導力がない教員は間違ったことを教えたり、授業が意味わかりませんとなったりするわけです
考えてみれば、「全国の中学校の社会の教員が1年間の授業をそれぞれが考えて実施する時間」と「文部科学省が一つのパワーポイントを作成して配布する時間」を考えたら、どれだけの労働時間が削減できるでしょうか?



決められた内容を決められた通りに教えなさいと言われる方が、楽でいいと思うんですね
日本人というのは、「それではさぼっている」と考えるから、無駄なことを延々としたがるんですよね
教科書という縛りがいい、副教材を購入する実態があるわけで、誰が授業しても知識の定着は大した差にはならないんですよ

どんだけ授業工夫しようと、それは残業が増えるだけであって、すべての国民の学力が伸びていくわけではないんですよ
教材研究をしなさいとをつき放すからこそ、各教員が好き勝手なことをし始めて、暴走していくんです
各教員に任せるから、逆に管理職や教育委員会が口を出しづらくなって、教育の質を逆に落としていると思います


指導要領の縛り、教科書の縛りがある現状では、何をどう工夫しろと言うのかなと不思議で仕方ないですね
ワークシートを自分でも作ったりしますが、それも一律で配布されてしまえばそれを使いますよ
教育委員会からこういうふうにやりなさいと言えばそれをやりますよ



はっきり言えばどうでもいいんですよ
各個人が考えて自己の裁量でやることの方が弊害が大きいし、学力の差がつきやすいと言うか、質的な保障ができないと思います
むしろ、これをやれと決められて、それを達成する方が明らかに仕事も減るし、いいものさえ作っておけば、学力補償もできるわけですからそれで十分だと思います


このことを言い換えるなら、一度きちんとしたものを作り上げたなら、それをずっと使い続ければいいということです
教材研究をしなさいと延々とを言ってくる教育委員会は管理職は、実態をまず見てから判断するべきでしょうし、適切な具体的なアドバイスを日々与えていくことが必要でしょう

教材勉強しなさいなどは無駄の温床であり、残業の元になっているでしょう