絶対評価の4観点という無駄。この残業の元をどう考えて、どう付き合っていくか | t-labo(中学校教師の支援サイト)

絶対評価の4観点という無駄。この残業の元をどう考えて、どう付き合っていくか

私が教員になった時にはもうすでに絶対評価が導入してあり、4観点評価が導入されてありました
国語にいたっては5観点ですね

ぶっちゃけのところ、これほど馬鹿らしくて、無駄な評価はないと思っています



私はこうした部分を研究したわけではないので、現場の教員として感じたことをベースに書きますので、この部分は注意をしてください

そもそも相対評価から絶対評価にしたというところで、意味不明といますか、何でそんなことしたんだろうと思うわけですね
競争という見方から、各個人の良いところを見るというのが、その趣旨のように思います
頑張ったら頑張った分だけ成績が伸びるよ、というわけです

おそらくこういう趣旨だと思うのですが、問題があるとすれば

・教員によって成績の評価基準が全く違う(学校によっては5が連発)
・教育委員会が相対評価の人数に合うように是正指導をしているケースがある

というようなものがあるように思います
絶対評価というのは、「絶対」の部分が教員判断であり、それは各学校において全く違うわけですね
それゆえに主観が入っているといえば入っています



そして、5を出しすぎると「評価が甘いのではないか」「信頼性がないのではないか」と言われるようになり、教育委員会から是正指導を受けることがあるようです
高校からすると「あの学校の評価は信用できない」という風になりますしね(成績が内申点として評価されるので、成績が緩い学校が有利になります)


評価の信頼性からすると、集団の中での順位に基づいて出される相対評価の方がはるかに信頼性が高いわけです
それを信頼性の低い絶対評価に変えるわけですから、文部科学省が何を考えているのかわかったものではないし、現場でしている評価について文句をつけられるのもたまったものではありません


絶対評価の導入によって、何が変わったかといえば、おそらく観点ごとに評価をつけることでしょう
4つの観点で評価をつけることで、何がいいかといえば、おそらく透明性が高くなり、説明責任を果たしやすくなるのではないかと思います
「この観点は◯◯と◯◯と◯◯で評価されます」のようになってきますよね

相対評価の場合では順位でつけていたので、おそらくテストの点だけでほとんど行けたのではないかと思います(推測ですが)
4つの観点ごとに評価を出すことで、説明責任の透明度が上がり、さらに言えば、成績をいい加減につけていた教員を監視する役割もあるのではないかと考えます



つまり、相対評価という信頼性が高い評価方法では、いい加減な評価(教員による差別・手抜き)が反映されていたものが、

あえて、絶対評価という信頼性が低い評価を方法で、透明度の高い評価にかえて、いい加減な教員による成績の付け方を監視する・不祥事を防ぐことになった

のではないかとも思います
要は、いい加減な教員がたくさんいたので、それを縛る目的で導入されたのかなと思うわけです
文部科学省はいろんなことを言っているかもしれませんが、おそらく教員の不祥事が中心にあったのではないかと思います

絶対評価にする方が子どもが幸せになると言う人もいるかもしれませんが、結局のところはどこに行っても競争なんですよね
公立高校の入試は上から順に合格が決まっていくわけで、競争社会です
大学受験もそうだし、就職活動もそうです

どこに行っても受験なんです
競争なんです



そんな競争原理を後から導入しようなんて都合のいいことを考えるから、小学校の成績が全く意味を持たないものになっています
小学校の成績はなんの価値も持たないから何も考えない保護者は「子どもは元気であればいい」なんてことを考えて、勉強をおろそかにして、中学校に送り出すわけです
そうして、中学校で成績の洗礼を受けてショックを受けたり、勉強するということに準備ができてなかったりして、不適応を起こしていくのではないでしょうか


競争というものも小学校や中学校で排除するから、のほほんとしていけるのかもしれませんが、現実に待っているのは競争社会ですから、この矛盾というか、いい加減さは悪影響をもたらしているようにも思います

もちろん、子どもの立場からすると5がつきやすい絶対評価の方が断然委員に決まっています
相対評価は明確に人数が決められているので、5の価値が高く、学力のヒエラルキーが明らかになるというデメリットもあるでしょう



絶対評価の問題点は、教育委員会が基準を決め切らないと言うところです
もちろんABCの観点ごとに「基準となる文章」が出ていますが、それは抽象的すぎて解釈に困るわけです
解釈に困るような文言だから、現場では「評価のための評価」をせざるを得なくなり、結果として仕事が増えて、成績に追われるようになります

成績には説明責任がついてくるから、それは確かにそうです
しかし、それを細分化しすぎて、評価を出すのが怖いというのが現状ですし、どうしてその評価になったのかは「記述系」は主観が入りやすくて、ごねる生徒が出てくるとをとても大変です

その結果として、成績をつけるために評価をする、評価のために評価をする、という実態になっていいるでしょうし、そのために仕事が延々と増えているように思います
さらに、教育委員会の人間によっては「提出物でなぜ興味関心がはかれるのか?」と難癖をつけてくる人間もいます
こうした人間は、現場の人間を困らせようとしているとしか思いませんよね




おそらくですが、曖昧な文章表記になっているからこそ、こだわればこだわるほどいろんな解釈ができてしまい、それが教育委員会という立場だから、発言権を持ってしまうわけです
いろんな解釈ができてしまうから、教育委員会によって指導の方針が違うでしょうし、それが混乱にもなりますし、余計な指示にもなります

絶対評価が行われて何十年になるかわかりませんが、未だに教育委員会も明確な答えを出せていないでしょうし、現場も未だに明確な答えを持っていないようにも思えます
こんな曖昧さを現場に求めるから、現場の残業は減らないのです
本当に馬鹿みたいな制度ですよ


とは言うものの、成績評価を出さないといけないので、変にこだわりすぎてもいけないので、それっぽくなるように工夫をするのが生き残りの道ではないかと思います
どういうことかといえば、5がたくさん出すぎると教育委員会などに目をつけられる可能性があるので、テストは難しくする(90点がほとんど出ないようにする)のが、基本になると思います

成績のどこで引っ掛かるかといえば、おそらく5の人数なんですよね
ここが抑えられた数字であれば「客観的な評価」と言われると思います
高校もここしか見ていないでしょう



評価に翻弄されないためには、毎年同じ回数の提出物、小テストなどを設定すること
小テストなどの回数は極力回数を減らすこと
10回やっても4回やっても大差なんてないわけで、転記や採点の回数が増えるほど無駄な作業が増えます

毎年のように成績をつけるわけですから、同じ項目でつけて毎年の決まった作業にしてしまえばいいのです
成績で迷うことなんて時間の無駄です
定期テストは1問が2点か3点にして、問題数を減らして採点の手間を減らすべきです


などとやっていけばいいように思います
成績をつけるときに大事なのは、誰からもクレームが来ないことです
特に教育委員会や管理職からクレームが来るとすごくめんどくさいので、その部分だけは気をつけたほうがいいです



こうやっていい加減なことを書いているかもしれませんが、生徒が持っている学力なんてそう変化するものではなくて、どんな評価方法を用いても

・できる子は高い点数を取る
・できない子は低い点数を取る

という再現性があります
だから、どんなに工夫を凝らしたとしても一緒なんです
そこでクレームが来ないように「いかにばらつきを出すか」だけがポイントになるわけです

絶対評価と言う馬鹿らしい評価をしないといけない教員であるからこそ、ポイントを押さえて時間をかからないようにしていくのが、これから大事になってくるのではないかと思います
どんなに頑張って評価しても結果は変わらないんです

夢がない言い方かもしれませんが、そういうものなんです
あなたがやってる評価も、どういう評価方法を使っても同じような結果が出るのはそういうことであり、あなたの評価方法はそれなりに正しくなっているわけです