自分から抜け出し他者へ、これが問題生徒に必要なこと | t-labo(中学校教師の支援サイト)

自分から抜け出し他者へ、これが問題生徒に必要なこと

曖昧な記憶で申しわけないのですが、「幸せになる勇気」を読んだ時に出てきた印象的の言葉があります
それは何かと言うと、人が成長していくときに「自分」というタスクから「他者」というタスクに移行していかなければいけないということです


なるほどとすごく印象的で、それは教員としても大きな影響を与えた言葉でした



どういうことかというと、未熟な人・子どもというのは、自分のことしか考えていないんですよね
問題生徒がなぜ問題ばかり起こすかといえば、自分のことしか考えていないからです

自分がつまらないと感じるから授業中でもしゃべる、相手に嫌なことをしながらも自分がされたら嫌だと暴れる
例を挙げたらキリがないのですが、「他人に対してやっていること」と「自分がされたこと」が同じ線上にないんですよね

成熟した大人であれば、自分がやられたら嫌なことは他人にしないが原則でしょう
それは自分と他人が同じ線上にあって、きちんと他者のことを考えられるからです
子どもはそれがありません



常に自分だけなのです
自分がどう感じるかが大事で、自分が不快であれば暴れるわけです
赤ちゃんが典型的なものですよね

問題生徒と一般生徒の違いは何かといえば、「他者についてどれだけ共感的に考えられるか」になって来ると思います
成長していくということは、自分というタスクからは、他者というタスクに移行していくこと
人間は社会的な生き物だからこそ、自分だけのことを考えて生きては行けず、他者との関係の中で自分の在り方を考えて行動しないといけないのです

優等生というのはこういう能力はとても高いし、経験値が多いのだと思います
問題生徒は根本的な能力が低いのもあるかもしれませんが、保護者がノリで子育てをしていたりするので、他者への共感という経験値が圧倒的に低いのです
また、問題を起こした時に指導をしますが、その指導が入りにくいし、入りにくいから教員の方も諦めてしまうし、保護者からの指導もろくなものが入らないので、他者との関係性で自分の行動を振り返ることができないのです




ある問題生徒が作業に協力しない生徒を延々と攻撃しているので止めると、こんなことを言うのです
「あいつが協力しないのが悪い。俺はやっているから悪くない」
だから攻撃しても許されるという論理です

ここには他者がどういうふうに感じるかは全く入っていませんし、問題生徒が攻撃をするから(普段からそういう関わりをするから)、一緒に作業ができない状態になっていることも理解できないわけです
教員から作業をするように指示をされて作業をしない奴が悪い、ということで、自分をやっていて、そいつはやっていないから悪くて、悪いやつは攻撃されても仕方ない、攻撃されたくなかったらちゃんとやればいい、となっているわけですね


その生徒に話をしてみると、今度はキレ始めます
「俺はちゃんとやっているのに、なぜ怒られないといけないのか?
やっていないあいつの方が悪いのだから、なぜあいつを怒らないのか?」

もはや話になりませんね
ただ、話にならないからといって「とにかくだめなんだ!」と意味不明なことを言ってしまってもだめなのです
なぜなら、他者のことを考える発想をその生徒に覚えさせなければ、同じようなトラブルがどんどん怒るからです



もっと言えば、きちんとした指導をしなければ、その生徒は他者のことを考えるどころか「こうやって攻撃するのはありなんだ」と学習するのです

他者という視点をきちんとを取り入れていくことが、問題生徒にとってはとても大事な観点になってきます
他者という視点があるから、授業中に私語をするのはやめようと思えるのです
それは教員から怒られるからではなくて、クラスメイトに迷惑をかけてはいけないという考えからです

幸せになる勇気は主人公が教員になっていますが、そのことに関して役に立つことほとんどありませんが、中で紹介されてある考え方などは大いに役立ちますので、呼んだことがない人は読んでみてください