愚直の美学は捨てよう | t-labo(中学校教師の支援サイト)

愚直の美学は捨てよう

学校現場に足りないのは、物事を効率化しようという発想と非効率なものは捨てるという発想です
教育委員会や文部科学省が新しいことをしようとする度に、現場は悲鳴を上げますが、なぜ悲鳴を上げるかというと、何かを減らさないからです

家の収納と同じで、どんどん新しいものを変えば、収納スペースはなくなっていきます
そのうちゴミ屋敷となるでしょう
入ったものだけ捨てるからこそ、適切に管理ができるのです



学校現場というのは、システムも教員もみんなが、捨てる発想がありません
とにかく、新しくどんどん付け足して肥大化させていくことばかりに夢中です
捨てようとすると、抵抗勢力が現れてしまい、効率化に対して抵抗をしていきます

2学期制を導入して成績を原則2回出せばいいはずなのに、なぜか夏休みの前と冬休みの前にも出さないといけなくなり、年間で4回も出すことになる
また、今までは年2回の三者懇談が、夏・秋・冬の3回になった

2学期制を例にしましたが、何かを新しく導入するということは、何かを捨てると言うことです
成績を出す頻度が少なくなったことで、保護者が不安に思うかもしれないといった理由で4回出すのはおかしな話ですし、余計な仕事をますますさせるようになるわけです



2学期制を導入したのであれば、成績は2回しか出さないとするべきだし、三者懇談の回数も従来より増やすべきではないでしょう
何の目的でやっているのか全くわからないことは多いですね

つまるところ、学校現場でやってることなんておかしなことばかりなのです
そのおかしさを修正しようとして、校長に話をしたところで、校長は変える気が全くないので「あいつは私に対して反抗的な態度をとる」と敵視されてしまいます

言いたいのは、不満ではなくて、教育現場に何も考えずどっぷりと浸かってしまうと、「非効率」なやり方しか見についていかないと言うことであり、効率的なやり方を否定してしまいます

愚直なやり方は捨てたほうがいいです

成績、テスト、学級通信などを手書きで作っている人に対して、何でパソコンでやらないのと思いませんか?
なぜパソコンを使わないかといえば、そういう効率的なやり方を知らないし、効率的なツールを使うことに拒否反応を示しているのです





パソコンの例で考えるとわかりやすいと思いますが、使える人間からすれば使うのが当たり前であり、使わないなんて考えられないはずです
だけれど、使えない人間からすると、手書きの作業が一番効率がいいし、パソコンなんてものを使う暇があれば手書きで仕事をしたほうがいいと思っています

どちらが正しいのでしょうか?

文明が発達しても、その新しい文明を否定していれば時代から取り残されて行き、世の中は仕事効率がどんどん延びていく方向にあるわけで、その人の仕事効率は落ちていくのです
だから、愚直なやり方なんてやめるべきです

どうやったら近道ができるかは、どうやったら抜け道があるかということを考える方が、仕事の効率は上がっていきます