二元論で考える危険とそうしないと難しい理由 | t-labo(中学校教師の支援サイト)

二元論で考える危険とそうしないと難しい理由

教員の世界だけではなくて、世の中のものは往々にして二元論のようにして○と☓に分けるのが難しいです
そうだからといって二元論がいけないというわけではないのも現実です
生徒の悪い行為はどうあがいても「悪い」のですから



「生徒が人を殴ったから悪い」
それはそうです
悪いことをしたから生徒が反省や謝罪をするかと言えば、別問題です

そのときに教員が二元論的に「殴ったお前が悪い」とすれば、指導が難航します
その教員からすると、「悪いことをしたのになぜ反省がないのか!」であり、指導が通らない現実に苛立ちます
二元論で考えると、「じゃあ、罪を認めないこいつは無罪なのか?」なんて言い出しそうで怖いです

私の答えは、「殴るに至った心情には共感するけど、殴ったことは悪い」という形
そうしないと生徒は納得しないのです
生徒からすると「殴る = 正義」という構図が成り立っていたのですから、そこを無視するとさすがに話が通じなくなります






二元論的に考えると、どうしても生徒の心情を汲み取れなくなるわけです
以前「だめなものはだめ」と言わないといけないとしつこく書いたことがあります
それを実践されてうまくいかなかった人がいます

その人が失敗した理由というのは、「だめなものはだめ」しか言わなかったのです
これは驚くしかないのですが、人は納得するため理由が必要なのですから、私は確かに「だめなものはだめ」と何度も言いなさいとは言いましたが、「それしか言ってはいけない」とは書いていません
当然のように他の話をするという前提なのです

その方はおそらく「だめなものはだめ」と言うか、言わないかだけを二元論的に考えたのでしょう
その結果、前者を選択して言い続けたと。
これでは同じことを繰り返すSiriやペッパー君と同じですから、結構怖い話です

二元論の恐ろしいところは、柔軟性を欠き膠着するところにあります
でも、二元論は必要な理由は・・・

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より具体的に教員力がアップするような仕掛けを用意しています
追記はtetra塾の教員コースの塾生になると表示されるようになります